あの『ムーミン』が鉄道博物館に展示されることが決まりました。
と言っても、鉄道ファン、特に旧型国鉄電機の好きな人でないとピンとこない話でしょうが、 私などは今からワクワクしています・・・。
JR東日本とさいたま市の鉄道博物館は先月(2月)26日に、JR東日本の高崎車両センターにて保管していた電気機関車EF55の1号機を鉄道博物館に移動し、5月のゴールデンウィーク前までには展示を開始すると発表しました。
EF55形電気機関車は、国鉄の前身である鉄道省が製造した直流用電気機関車で、1936年(昭和11年)に幹線急行旅客用電気機関車として誕生しました。
製造を担当したのは日立製作所と日本車輌製造・東洋電機、そして川崎造船所・川崎車両で各1両ずつ、合計3両が生まれています。製造当時、世界的な流行であった流線型のデザインを先頭部分(第1エンド)に採用(後部の第2エンドは切妻と)しています。また、車体はリベットやボルトの使用を排して電気溶接で組み立て、前位側連結器は格納式とされていました。
また常に流線形の第1エンド側を先頭として運用される(当初は第2エンドには簡易運転台が設置されていた)為に、前後非対称の特異な軸配置(先輪2軸-後部従輪1軸)となっています。
しかし、せっかく流線形のデザインを採用した割りには、最高速度が95km/h程度であった為に空気抵抗低減の効果がほとんど無かったことや、終端駅では(事実上の)片運転台式の電気機関車であることで転車台を利用して方向転換をしなければならないことや、スカートを装着したことで保守に手間がかかることなどが不評であり、大量生産には至りませんでした。またこれは、流線形の蒸気機関車(C53形の43号機やC55形の20~40号機など)が普及しなかった理由に酷似しています。
製造当初は沼津機関区に配備され、主に特急「燕」「富士」を牽引しましたが、他の旅客列車や小荷物列車の牽引にも従事。戦後、1952年(昭和27年)に高崎第二機関区に転属となり、高崎線の普通列車を中心に活躍しました。
しかし、3号機は1962年(昭和37年)に試作交直流両用電気機関車のED30形 (ED30-1) に機器を流用され、残る2両も1964年(昭和39年)には引退となり、2号機は解体されましたが、1号機は1978年(昭和53年)には準鉄道記念物の指定を受け、この時、既に撤去されていたスカートや連結器カバーが復元されました。その後、国鉄は1986年(昭和61年)に大宮工場で動態状態への復元工事を実施、同年6月24日に車籍を復活させます。その後はJR東日本に引き継がれ、以降、2009年までイベント列車を牽引して上越線や信越線などを走り人気を博しました。
現役時代は、流線形のフォルムから『ドタ靴』とか『カバ』と呼ばれていましたが、1986年の動態復帰後はフィンランドの作家トーベ・ヤンソンが創り出した物語の主人公ムーミンに似ていると話題になり、愛称も『ムーミン』となりました。
そのユーモラスな姿が有名なEF55ですが、終戦直前の1945年8月3日、静岡県沼津市の車両基地で機銃射撃を受けた1号機には、運転台の天井に銃撃で裂けた数センチ程度の損傷痕があるそうです。
カワイイ愛称や見た目に似合わず、大変な苦難を乗り越えて走り続けてきたデンキだったんですね・・・。
-終-
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