【名刀伝説】 御物 鬼丸国綱 〈1345JKI07〉

その後、「鬼丸」は14代執権の北条高時の代まで北条家に伝わったが、元弘の乱で鎌倉幕府が崩壊、北条氏は滅ぶ。

「鬼丸」は一時、北条高家の手にあったが、新田義貞の鎌倉攻め(1333年)の際には、高時の長男である北条邦時が所持していたとの説がある。幕府瓦解の最中、北条邦時は伊豆山へ脱出するが、味方の裏切りにより新田義貞の家臣、船田義昌に捕われ、その時に「鬼丸」も奪われて新田義貞に渡ったとされる。

 

詳細は不明乍ら、新田氏は源氏重代の宝剣、「鬼切(もと髭切)」も所持(「鬼丸」と同様に北条氏から略奪したとも云われている)していた。そして束の間とはいえ、「鬼丸」と「鬼切」の両刀を持つに至たり大変喜んだ義貞は、合戦時にはこの両刀を佩刀して臨んだという。伝承では、湊川の戦いでは両手にこの宝刀を携えて飛び来る矢を次々に薙ぎ払い、「その身は恙もなかりけり」とさえ伝わっている。

越前の藤島合戦で新田義貞が敗死した時に、義貞を討った斯波高経が戦利品として獲得する。

これを知った足利尊氏が献上を命じたが、高経は偽の太刀を渡し騙そうとしたと伝えられる。後に尊氏にその事実を知られ、結局は尊氏の手に渡り、以来「鬼丸」は足利家の重宝となったのだった。

以降は足利家の宝剣として伝来し、この刀も足利義輝が二条御所での死闘の際に振るったとされる。やがて足利義昭から織田信長に贈られ、更には豊臣秀吉に渡る(直接、秀吉へ伝わったという説もある)が、後に秀吉から鬼門守護の意味を込めて本阿弥光徳に預けられた。

更に大坂の陣の後には徳川家へと所有者は代わるが、徳川家康も秀忠も、そのまま本阿弥家に預け続けた。以後、元和4年(1618年)、後水尾天皇に第一皇子である賀茂宮が誕生した節に、「魔除けの太刀」として御所に献上されたが、宮が元和4年(1622年)に僅か四歳で夭逝されたので「不吉な太刀である」として再び本阿弥家に戻されてしまう。

その後、8代将軍、吉宗の命で江戸城へ持参されて披露されたこともあるが、吉宗は何故か、また本阿弥家に戻して保管させたとの記録も残っている。

これ以降、徳川家からは特段の指示がないままに遂には明治維新を迎えた本阿弥家は、已むを得す「鬼丸」を新政府に届け出たのだった。

明治14年(1881年)には、「後水尾天皇に献上されたものを徳川幕府が本阿弥家に預けていたものである」として明治天皇の元に再度献上された。そして現在は、御物として皇室の(三の丸尚蔵館)所蔵となっている。

「鬼丸国綱」は天下五剣の内でただ一つ御物である為に、国宝や重要文化財といった指定を受けていない。

また御物として一般公開されることも少なく、公開されている写真などの画像も極めて少ない。

 

次回以降も、【名刀伝説】 では引き続き多くの名(銘)刀を紹介していく予定であり、是非、応援の程、よろしくお願いしたい。 

-終-

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