『ドン・キホーテ』の作者として著名なスペインの作家セルバンテスの埋葬場所を突き止めるべく発掘を進めていた調査発掘チームは、セルバンテスの棺の一部を発見したと、今年(2015年)の1月に発表していた。
そして17日には、同じ調査発掘チームがマドリードの修道院の地下で、セルバンテスのものとみられる遺骨を発見したと伝えた…。
今月(3月)17日、ミゲル・デ・セルバンテス・サアベドラの遺骨の発見に関し、スペインの調査発掘チームはほぼ間違いないと発表した。遺骨の傷みが激しくDNAによる鑑定等は困難だが、史実や考古学的分析からこの様な結論を出したという。
以前より、マドリードにある修道院の地下にセルバンテスの墓があると推定されていたが、約1年ほど前から考古学者や法医学者36名で編成された調査発掘チームが具体的な調査・発掘を始めていた。
同チームは、赤外線カメラや特殊なレーダーなどを駆使して、地下約1.35メートルの部分に空洞があるのを発見し、この部分周辺を重点的に調査したところ、今年(2015年)2月になり男女17体の遺骨が見つかった。
遺骨はみな損傷が激しいが、一部の遺骨の顎(あご)の特徴などがセルバンテスが生前に書き残した記録等と一致したとされている。
ミゲル・デ・セルバンテス・サアベドラ(Miguel de Cervantes Saavedra)は、 1547年9月29日にアルカラ・デ・エナーレスで生まれ、1616年4月23日にマドリードで亡くなったスペインの作家で、『ドン・キホーテ・デ・ラ・マンチャ(Don Quijote de la Mancha)』の著者として史上に名高い。
恵まれない少年時代を送った後、スペイン海軍に従軍し「レパントの海戦」(1571年)において左腕を負傷、その後も「ナヴァリノの海戦」やチュニス侵攻に参戦している。以降、バルバリア海賊に襲われてアルジェで5年間の捕虜生活を送った。解放後に徴税吏などの幾つかの職を転々とした後に、最初の作品『ラ・ガラテーア』(1585年)を出版したが世間の評価は低く、やがて1605年になり名作『ドン・キホーテ・デ・ラ・マンチャ』を世に送り出した。
『ドン・キホーテ』は出版されるやたちまち大評判となり、発行部数も伸びた。しかしセルバンテスはその版権を安く売り飛ばしていた為に、多くの収入は得られなかったとされている。
だが彼はその後も意欲的に創作活動を続け、代表的な著作には『模範小説集』(1613年)や『ドン・キホーテ 後編』(1615年)があり、そして1616年にマドリードで逝去、享年は69歳だった。遺作には『ペルシーレスとシヒスムンダの苦難』(1617年)がある。
セルバンテスは西洋文学史において大きな足跡を残し、スペイン語圏の作家としては最高の有名人である。同時代人のシェイクスピアも『ドン・キホーテ』を読んでいたという…。
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