《都市伝説を語ろう》 「アインシュタインの予言」は偽書だった!! 〈248JKI35〉

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アルベルト・アインシュタイン

最近、テレビ番組やネットにおいて自国の事やその文化を事更に自慢したり褒め称えることが流行しているらしいが、その良し悪しはさておき、人間誰しも貶されるよりは褒められた方が嬉しいのは当たり前だろうと思う。それも、あの人類史上に残る偉大な科学者から、むちゃくちゃ褒められたら、相当にウレシイだろうね…。

 

 

結論から先に言うと、「アインシュタインの予言」とは完全なる都市伝説だということ。その理由は後述するが、先ずはそのことを理解してこの記事を読み進めて欲しい。

さてそれでは「アインシュタインの予言」とは何かということについて説明しよう。それは、世界的な物理学者であるアルベルト・アインシュタイン博士が「日本の繁栄は万世一系の天皇のおかげである」とか、「そのような日本こそ、将来の世界的盟主にふさわしい」といった趣旨で日本のことを褒めちぎった発言をまとめた短文であり、それがネットや書籍を通じて広まったことである。

 

さて、アインシュタインは1922年(大正11年)に来日し、大の親日家となっていた。多くの日本人と日本の自然や文化に接して、彼は日本と日本人を心から敬愛するようになったとされている。

アインシュタインの日本人に対する第一印象は、その非個性と自らの属する共同体と国家に対する誇りを強く持っていることであった。

彼は、欧米人と比べた日本人独特の団体主義に、最初は違和感をいだいたようだ。しかし彼は、それを否定的には受け止めずに冷静に観察しながら、より日本人と日本文化に深く接する内に、その非個性の背後にある純真無垢な性質や他者への同情や思いやりの精神に気づいたと述べている。

アインシュタインは当然ながら科学者として歴史に残る偉大な人物であったが、一個人としても、偏見のない細やかな観察眼と豊かな感受性を持った人物であった。そして彼は、人種や宗教、文化の違いなどによって他国の国民を差別や蔑視することなどは決してなかったのだ。

彼は、欧米の個人主義が行き過ぎであることを危惧し、むしろ日本の家族主義的な方向性や団体主義に立脚した社会の発展に親しみを感じてたのかも知れない。

 

神戸に上陸したときの記者会見で来日の目的を聞かれて、彼はこう答えている‥‥。

それは2つあります。1つは、ラフカディオ・ハーンなどで読んだ美しい日本を自分の目で確かめてみたい――とくに音楽、美術、建築などをよく見聞きしてみたい――ということ、もう一つは、科学の世界的連携によって国際関係を一層親善に導くことは自分の使命であると考えることです。

12月29日の離日の前日に、大阪朝日新聞はアインシュタインの日本国民への感謝のメッセージを掲載した。

予が1ヶ月に余る日本滞在中、とくに感じた点は、地球上にも、また日本国民の如く爾(しか)く謙譲にして且つ篤実の国民が存在してゐたことを自覚したことである。世界各地を歴訪して、予にとつてまた斯くの如き純真な心持のよい国民に出会つたことはない。又予の接触した日本の建築絵画その他の芸術や自然については、山水草木がことごとく美しく細かく日本家屋の構造も自然にかなひ、一種独特の価値がある。故に予はこの点については、日本国民がむしろ欧州に感染をしないことを希望する。又福岡では畳の上に坐つて見、味噌汁も啜つてみたが、其の一寸の経験からみて、予は日本国民の日本生活を直ちに受け入れることの出来た一人であることを自覚した。

この様にアインシュタインは、日本人の国民性と文化・芸術や自然の美しさを褒めるとともに、12月26日の門司での記者会見では、下記の様な率直な発言もしている。

日本にきて特に気になるのは、いたるところに軍人を見かけ、平和を愛し平和を祈る神社にも武器や鎧が飾られているのは、全人類が生きていくのに不必要なことと思います。それからもう1つは、大阪の歓迎会では会場が日本とドイツの国旗でうめつくされていて、日独親善の気持ちは感謝しますが、軍国主義のドイツに住みたくないと思っている私には、あまりいい気持ちはしませんでした。

ともあれこの時の日本旅行が、様々な差別の対象であったユダヤ系市民である彼にとって、政情不安で騒然としていたドイツから離れられる、心休まる一時となったのであろう。

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