彼はドイツ在住中から間違いなく平和主義者であったが、結局は軍国主義や全体主義の台頭を嫌って米国へ移住(亡命)することになる。(直接的にはヒトラー率いるナチスからの迫害を避けるため、米国旅行からドイツへの帰国を断念した)
更に彼は、どちらかというと社会主義的な信条の持ち主でもあった。1930年にはこう語っている。
ご存知の通り、私は社会主義者です。関心があるのは、すべての人の幸福や社会主義国建設のために個人の知的自由を獲得する必要性を、若い人たちに教えることなのです。
アインシュタインは、後にナチスの研究に対抗する意味で、米国の原子爆弾の開発を間接的に支持した。(彼は核爆弾製造の可能性に関してルーズヴェルト大統領宛に手紙をしたためたとされるが、具体的な開発作業、例えばマンハッタン計画等には一切関与していない。)
しかし、その爆弾が日本の広島や長崎に投下されることは予想もしていなかったという。そこで起きた悲劇に関して、彼は驚き悲しんだ。
そしてこの罪の意識が、晩年の彼をいっそう強く平和運動に駆り立てることになる。それは世界政府建設の運動であった‥。
ではここで、一部の書籍やネット上で真(まこと)しやかに伝播されている「アインシュタインの予言」なる文章を披露しよう。多少のバリエーションはあるようだが、概ね似た内容の文章となっている。
近代日本の発達ほど、世界を驚かしたものはない。
この驚異的な発展には、他の国と異なる何ものかがなくてはならないが、それはこの国の三千年にわたる歴史であった。
この長い歴史を通して、万世一系の天皇を戴いているということが、今日の日本をあらしめたのである。
私はこのような尊い国が、世界に一カ所位なくてはならないと考えていた。なぜならば世界の未来は進むだけ進み、その間幾度か争いは繰り返されて、最後には戦いに疲れる時がくる。
その時人類はまことの平和を求めて、世界的な盟主を挙げねばならない。
この世界の盟主なるものは、武力や金力ではなく、あらゆる国の歴史を抜き越えた、最も古くまた尊い家柄ではなくてはならぬ。
世界の文化はアジアに始まって、アジアに帰る。
それにはアジアの高峰、日本に立ち戻らねばならない。
吾々は神に感謝する、吾々に日本という尊い国を作っておいてくれたことを。
上記「アインシュタインの予言」は、内容に多少の相違はあるものの、1950年代後半くらいから多くの著述家の書籍等で紹介され始め、最近のネット社会では日本を評価した世紀の偉人の言葉として多量に引用されているようだ。
しかし現実には、アインシュタイン博士とは全く関係ない言葉が広がってしまったのだと、元東京大学教授(ドイツ文学)の中澤英雄氏(現名誉教授)は考えた。
中澤氏の主張では、「アインシュタインの予言」とされて流布されている文章の中身は、実際の博士の思想とは異なり、またその出典が常に曖昧(あいまい)であることから、その出所に大いに疑問を持ち調査を開始したという。
大正期の来日の際には、アインシュタインは我国の天皇陛下もしくは天皇制にはほとんど関心を示しておらず、そのことに関しての目立った記録もないのだ。またその後も、特に天皇制に関しての発言は確認出来ない。
日本滞在でアインシュタインの印象に残ったのは、日本の持つ自然の美しさや文化・芸術の素晴らしさ、そして日本人の素朴で素直な国民性であり、その成り立ちや歴史への関心はいたって薄かったようだ。
そしてなにより平和主義者であり、反軍国・全体主義の思想に立ち、どちらかというと社会主義にも理解を示していたアインシュタインの考え方は、この「アインシュタインの予言」で語られている内容とは、決して相容れるものではないと思われた。それこそ逆に、アインシュタインの思想とは矛盾する、正反対の内容とも受け取れるのだ。
そうした彼が、当時の天皇制を「アインシュタインの予言」のような表現で大きく賛美するということは、まずあり得そうにもないのだ。また、戦後の彼の世界政府構想においても、「世界的な盟主」の必要性などに触れた発言は一切無いとされる。