事故の裁判・後日談
裁判では、最初の衝突から上り2000H電車の進入までの約5分50秒の間、列車防護の措置を怠ったことが問題視されたことから関係責任者が起訴され、287貨物列車の機関士と機関助士、2117H電車の乗務員、三河島駅の助役や信号扱所の職員に各々禁錮3ヶ月~8ヶ月の有罪判決が宣告された。最初の二重脱線の時点で、上り電車を制止するための措置を取っていれば被害ははるかに少なくて済んだと考えられるのだ。
また不可解なことに、未だに身元が判明していない犠牲者がおり、駅近くの寺に行旅死亡人として葬られている。事故当日、線路上を歩いていて事故に巻き込まれた20代後半から30代ぐらいの丸顔の男性で、身長は163cmで手に数珠を持っていたとされる。事故後に遺体を元にモンタージュ写真が作成されて全国で公表されたが、現在でも身元は不明のままである・・・。
因みに、テレビ朝日系の刑事ドラマ『特捜最前線』の第163話「ああ三河島・幻の鯉のぼり!」は、本事故をモチーフとしていて、上記の身元不明者に題材を取ったものである。
この事故の犠牲者の中には、当時の人気漫才コンビであった栗友一休・三休の一休も含まれていた。そして事故後に、三休は春日三球として芸能界に再デビューしたことは有名だ。
国鉄はこの事故を切っ掛けに、当時保有していたプロ野球々団「国鉄スワローズ」をフジサンケイ・グループに売却することになった。
この事故により「三河島」という地名が全国からマイナスイメージを持たれるようになった為、1968年の住居表示施行を機会に、駅周辺の「三河島町」という町名は改変されて地図上から姿を消した。
その後、国鉄が安全性への取り組みをPRする為に企画し、岩波映画製作所によって制作された映画が『ある機関助士』。土本典昭が記録(ドキュメンタリー)映画監督としてデビューした作品でもある。廃止されることが確実な蒸気機関車と、そこに乗務する機関士や助士たちの過酷な勤務を追ったドキュメンタリー映画だが、彼らが鉄道の安全な運行に向けて如何に過酷な環境の下で奮闘しているかを記録した秀逸な作品となった。尚、撮影は定期運行されている実際の旅客列車ではなく、撮影用に特別に機関車を運行した上で、監督による綿密な脚本を元に制作された映画である。
事故から1年の後に、三河島駅北東の浄正寺に慰霊聖観音像が建立されて、現在でも献花等が続けられており、当時の惨事を偲ばせる。
-終-
【参考動画】 ⇒〈 1962年5月3日〉 三河島駅事故 二重衝突で死者多数/毎日ニュース
【参考動画】 ⇒ 重大事故仮想再現VTR 「常磐線 三河島事故」/mikawasimajiko
✱上記の動画内では、2117H電車の線路上への乗客降車は当該電車の車掌の誘導によるとされている。
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【国鉄昭和五大事故 -3】 洞爺丸事故 (前編)・・・はこちらから
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