日本三大饅頭とは、 福島県郡山市の柏屋「薄皮饅頭」、岡山県岡山市の伊部屋「大手まんぢゅう」、そして東京都中央区の塩瀬総本家「志ほせ饅頭」の三つのことです。
どれも美味しそうですが、私は塩瀬総本家の「本饅頭」は食べたことがあるのですが、「志ほせ饅頭」を頂いたことがありません。そこで、三大饅頭の全てをしっかりと食べ比べてみてから好みの順位を付けてみたいなぁ・・・なんて思うのです。
柏屋「薄皮饅頭」
「薄皮饅頭(うすかわまんじゅう)」は、福島県郡山市の土産菓子で茶饅頭の仲間。黒糖蜜を使用した薄皮で包んで、丁寧に蒸しあげた甘い饅頭です。1852年(嘉永5年)から続く和菓子の老舗、「柏屋」が製造販売しており、柏屋初代の「本名善兵衛(ほんなぜんべえ)」が考案したお菓子とされています。また創業者善兵衛は、奥州街道の宿場町郡山で「薄皮茶屋」という茶店を開き、主に旅人を相手に菓子商いを行いました。
この饅頭の皮は小麦粉に黒糖を大量に混ぜて作った生地で出来ているので、外側の色は茶色をしています。また名前の通り通常の饅頭よりも皮が薄い分、餡の量が多く入っています。その為か、かなり甘いのですが、やさしい甘さで決してくどい味わいではありません。
最初の頃は「漉(こし)餡」を用いたものでしたが、現在は「粒(つぶ)餡」も使用されています。「こし」タイプは、北海道産の小豆でしっとりとした自家製餡。上品で滑らか、口溶けの良さとさらっとした爽やかな甘味が味わえます。「つぶ」タイプは、同じく北海道産小豆をふっくらと炊き上げた餡を使用していて、こちらは甘さ控えめで小豆本来の素朴な風味と、プリッとした粒の食感が感じられて嬉しい。
普通にそのまま食べるのが一般的ですが、焼いたり、凍らせて食べたり、変わった食べ方では衣をつけて天ぷらにしたり、また、お茶かけにして食べたりする人もいるとのことです。
この饅頭は、1887年に鉄道(東北本線)が開通して以来、柏屋が郡山駅の売店で販売したことで郡山銘菓として有名になりました。
尚、柏屋各店では「薄皮饅頭」の手作り体験が行えますが、旅行ガイドブックなどによると開成柏屋店がお勧めの様です。この店は「菓祖神(かそじん)」に隣接してありますが、菓祖神は中国から饅頭をもたらした祖神「林淨因 〈命〉」(後述)と、日本に菓子の原点とも云われる「橘(たちばな)」をもたらしたとされる「田道間守 〈命〉」、そして「薄皮饅頭」を考案した柏屋の創業者「本名膳兵衛 〈命〉」の三柱を祀ったものです。更にこの菓祖神には、饅頭の姿をした自然石「願掛け萬寿石」が奉献されており、古くから良縁や子宝、家内安全、そして長寿にと幅広くご利益があるとされ、饅頭に因んで「萬寿神社(まんじゅじんじゃ)」として親しまれています。
※「田道間守(たじまもり)」は、菓子の神として信仰される記紀に記載のある古代日本の人物。彼は垂仁天皇の命を受けて、橘を常世国(現在の中国南部からインドシナ方面にかけて存在したとされる国)から9年間の苦難の旅を経て我国へと持ち帰りました。しかしその時には天皇は既に崩御されており、嘆き悲しんだ田道間守は垂仁天皇に殉死したとされています。後に聖武天皇が「橘は菓子の長上、人の好むところ」と述べられ、古代では菓子は果物の意味もあるところから、田道間守は菓祖神として各地の菓祖神社に祀られています。そしてこれが、果物(柑橘類)の橘を菓子の起源とする菓祖神にまつわる伝説なのです。またこの菓祖神を御神体とする神社には、和歌山の「橘本(きつもと)神社」や兵庫県の「中嶋神社」など多くがあります。
※「薄皮饅頭」の手作り体験の実施店は、薄皮茶屋(柏屋本店2F)、開成柏屋、磐梯高原柏屋、郡山駅おみやげ館柏屋など。要予約で、手作り体験時間は約50分ほど。料金など詳しくは柏屋さんへ問い合わせ願います。
2011年の東日本大震災の被害により本店旧店舗は半壊してしまいましたが、約2年後の2014年6月19日には新装開店しています。是非、旅のついでに訪れて「薄皮饅頭」の手作りを体験してみたいものです・・・。
伊部屋「大手まんぢゅう」
「大手まんぢゅう(おおてまんじゅう)」は、岡山市の銘菓で土産菓子として有名な饅頭です。地元では略して単に「大手」とも呼ばれています。種類としては薄皮の酒饅頭の部類ですが、やや小さめに丸めた餡を包む皮が極薄に作られているので、饅頭の表面部分において餡の黒色が透けて見えるのが特徴です。また現行の商品では、一つ一つが巾着を思わせる紙箱に丁寧に包まれているのが特徴です。
「大手まんぢゅう」の製法は、米処、備前岡山の地の利を活かして、先ずは良質の備前米を材料として米麹にもち米などを加えながらじっくりと成熟した甘酒を作ってこれに小麦粉を混ぜて発酵させ、餡を包む周りの生地を調製します。そして薄く均等に引き延ばしたこの生地で包むことで、北海道産の小豆を使用し特製の白双糖で練り上げたこし餡が透けて見えるほどになるのです。蒸す前はちゃんと白い生地なのですが、餡の色は透けては見えません。しかし蒸し上がってみると、甘酒の豊潤な香りを漂わせながら周りの皮の部分が餡とよく馴染んで、中身が透けて黒く見えるようになるのです。
出来立ての温かいものは特に人気があり、また売り場でもそのことが表示されており、岡山市民には温かい「大手まんぢゅう」を指名買いをする人が多いそうです。岡山県の土産菓子としては「吉備団子」に比べると全国的な知名度では劣りますが、地元では「大手まんぢゅう」を買う人の方が圧倒的に多いと言われています。
この饅頭を製造販売しているのは「伊部屋」で、岡山市北区にある和菓子の会社です。扱い商品には最中などもありますが、中でも特にこの「大手まんぢゅう」が有名。また伊部屋は1837年(天保8年)に創業の老舗で、伊部屋永吉という人が岡山の城下町であった現在の岡山市北区京橋町に店舗を構えたのが始まりとされています。
その後、この菓子が備前名物として広く知られるようになり、伊部屋は屋号の前に「大手饅頭」と付けるようになったとされます。現在も本店は京橋町にありますが、製造工場は同市中区の雄町にあります。これは、この地に名水として有名な「雄町の名水」があることから、この水を「大手まんぢゅう」の製造に活かす為とのことです。
尚、この饅頭は、伊部屋の店が岡山城大手門付近にあったことから、岡山藩の第7代藩主池田斉敏公により「大手饅頭(大手まんぢゅう)」と命名され、岡山藩池田家のお茶会の席には必ず伊部焼(備前焼)の茶器とともにこの饅頭が出されたと云い、その後も代々の藩主に愛されたそうです。
※新潟県長岡市の紅屋重正『大手饅頭』も、同じく城の大手門付近に店があった為の命名。
「大手まんぢゅう」は、前述の「薄皮饅頭」よりも更に超薄皮で餡子の量も半端ない位、沢山です。この岡山を代表する銘菓を、是非、一度は味わってみてください。
塩瀬総本家「志ほせ饅頭」
貞和5年(1349年)、宋で修業を終えて日本に帰国した龍山徳見禅師に同行して渡来した林淨因なる人物が、後に「塩瀬総本家」の始祖となりました。
林淨因は、奈良で「塩瀬」という屋号の店を建てて寺院などを対象に饅頭の製造販売を始め、大成功を収めます。彼は、中国の饅頭(マントゥ)を模して、肉食が許されていない僧侶の為に肉の代わりに小豆を煮つめ、甘葛の甘味と塩味を加えて餡を作り、これを皮に包んで蒸し上げたのです。
こうして、その後の我国で、所謂、饅頭(マンジュウ)と呼ばれる菓子が誕生しました。ふわりとした皮の柔らかさと小豆餡の艶やかな甘さが特徴で、その今までに無かった画期的な甘味は多くの公家や僧侶などの上流階級から大絶賛を浴びます。当時、日本国内にはこの様な菓子は存在しておらず、甘味と云えば、例えば干柿や栗を焼いたものや、餅に小豆汁をかけた汁粉の先祖の様なものでしたので、まったく新しい菓子の誕生となりました。
※日本の饅頭の起源については異説もあります。仁治2年(1241年)頃、博多に帰国していた留学僧の円爾が、林淨因よりも先に甘酒を使う「酒饅頭」を発明したとも伝わります。
※林淨因は、奈良の漢國神社の近くに居して商いを始めたことから、漢國神社内には林神社と呼ばれる境内社があり、淨因が菓祖神として祀られているます。またここには同じ菓祖神として、田道間守(前述)も合祀されています。
やがて淨因の作った饅頭は、天皇家にまで献上されました。そしてこの饅頭を高く評した天皇から、淨因は宮女を賜り婚儀に至ります。そして結婚に際して彼は子孫繁栄を願って特別に作った「紅白饅頭」を関係者に贈呈したのですが、今日、結婚や祝事におよんで紅白饅頭を配る習慣は、ここから始まったとされます。
その後、数代を経て淨因の子孫で中国で改めて製菓を学んだ紹絆が京都に移り、中国の宮廷菓子に範をとった、山芋を捏ねて米粉(薯蕷粉、上新粉)で練り上げて作る「薯蕷饅頭(じょうよまんじゅう)」を売り出しましたが、この薯蕷饅頭が現在の塩瀬饅頭の元となりました。
因みに、応仁の乱(1467年~)で京都は焼け野原になります。この時、戦乱を避けて京都を離れた林家は、縁戚の三河国設楽郡の国衆・塩瀬家を頼って塩瀬村に移り住み、以後、姓を「塩瀬」に改めたとする説もあります。
その後、再び京都に戻った塩瀬家の饅頭は大好評を呼び、足利将軍家(足利義政)からも天皇家(後土御門帝)からも寵愛を受けます。以来、ほぼ100年にわたり京都で繁盛を続けますが、江戸幕府の開闢に合わせて京都塩瀬の源譽宋需という者が江戸に下り、菓子商を始めました。以降は江戸で代々製菓につとめ、こうして徳川将軍家の覚えも目出度い塩瀬でしたが、明治時代に入り宮内省御用を勤め、今日に至ります。
「志ほせ饅頭」の製法は次の通りです。先ずは吟味した国内産の大和芋の皮をむき摩り下ろしたものが、熟練した職人の手作業で上新粉と砂糖を加えられて練られていきます。味や香り、色、柔らかさなどを整えて練り上がった皮で、餡を丁寧に包みます。また、北海道音更町の小豆を使用した餡は、甘さを抑えた上品な味で、まさしく吟味した素材を活かした逸品中の逸品です。そして塩瀬特製の窯でじっくりと蒸し上げると、フワッと柔らかくて、それでいてしっかりとした歯応えのある薯蕷饅頭が出来上がります。
饅頭始祖家の王道の品、一度は食してみたい「志ほせ饅頭」です。尚、私が好きな塩瀬総本家の「本饅頭」は、徳川家康が長篠の戦に出陣した際に献上されたという菓子。この饅頭を兜に盛って軍神に供え、戦勝を祈願したことから「兜饅頭」とも呼ばれています。あっさりした甘さと上品な口あたりは「志ほせ饅頭」譲りでしょうか・・・。
ところで私、個人的には愛媛県松山市の「山田屋まんじゅう」も大好きです。上品でかつ繊細な味わいで、小さな一口サイズがカワイイですね。冷凍しても凍らないから、夏の冷たいデザートとしてもピッタリです!!
-終-
【関連記事】
他の関連記事はこちらから ⇒ 和菓子探訪シリーズ
《和菓子探訪》 外郎(ういろう)・・・はこちらから
《和菓子探訪》 軽羹(かるかん)・・・はこちらから
《和菓子探訪》 日本三大銘菓・・・はこちらから
《参考動画》 『日本三大まんじゅうサミット in Fukushima 2016』 提供:柏屋公式チャンネル
《スポンサードリンク》