上陸作戦対象地域の東側半分を担当した英連邦軍には、米軍と比較して損害は少なかったと言える。
モントゴメリー将軍の第21軍集団に属するマイルズ・C・デンプシー将軍(中将)指揮の英第2軍は、米軍の担当上陸地点「オマハ・ビーチ」の東隣で上陸作戦対象地域の中央付近の「ゴールド・ビーチ」には第30軍団(B・C・バックナール中将指揮)の第50歩兵師団(愛称は「ノーサンブリアン」)が、その東側の「ジュノー・ビーチ」には英第1軍団(J・T・クロッカー中将指揮)所属のカナダ軍第3歩兵師団、更に東側の「ソード・ビーチ」へは同じく第1軍団の英軍第3歩兵師団(愛称「アイアン」)が上陸を敢行したのだった。
米軍と比べた大きな違いは、いずれの上陸部隊にも多くの戦車隊(シャーマンDD戦車を装備)やコマンド部隊が随伴していたことが挙げられる。ゴールド・ビーチには第8機甲旅団と第47海兵コマンド連隊が、ジュノー・ビーチではカナダ第2機甲旅団と第48海兵コマンド連隊(第4特殊任務旅団の一部)、ソード・ビーチには第27機甲旅団と第41海兵コマンド連隊(第4特殊任務旅団の一部)、ソード・ビーチの東側面には有名なラバット卿(准将)が率いる第1特殊任務旅団(第4海兵コマンド連隊など)が歩兵師団と肩を並べて上陸した。
更に特筆すべきは、この三つの海岸すべてで第79機甲師団『ファニーズ』分遣隊の特殊工兵戦車が上陸した歩兵部隊の支援を実施したことだ。
シャーマン・クラブ地雷除去戦車は海岸線に埋設されていた地雷原を爆破処理して道を切り開き、チャーチルAVRE戦闘工兵作業車の臼砲(290mmペタード前装式臼砲)が独軍トーチカを粉砕した。他にも多くの特殊車両が大活躍を見せた。(カーペット・レイヤー敷設の「ボビン」戦車、SBG架橋戦車など)
これらの水陸両用戦車や特殊車両が大いに働いたおかげで、英軍は兵員の損耗を抑えながら海岸線の独軍陣地を迅速に突破できたのであった。
英軍は、この特殊車両を米軍にも貸与するとの申し出を行ったとされるが、米第1軍は公式には英国製の車両の運用について習熟する時間がないとしてその提案を辞退したとされるが、実のところは英国嫌いの第1軍司令官ブラッドレーが単に個人的な思惑から断ったとも伝わる。しかしこの判断により、多くの米兵の命が損なわれたのだった。