今年は警視庁が創立されて140周年だ!! (※本稿は2014年9月投稿の記事)
この機会に、我国の首都 東京を預かる最大の都道府県警察である警視庁について調べてみた…。併せて、警視庁が重大な事件や災害・事故を選ぶアンケートを実施してランキング化した結果を紹介する!!
警視庁とは
警視庁(Metropolitan Police Department、MPD)とは、東京都を管轄区域とする警察機関の名称である。1874年(明治7年)に設置され、戦後の1954年(昭和29)に現行の体制となり、最高責任者(トップ)は警視総監が務める。
ちなみに、国家公安委員会のもと、全国の都道府県警察の指揮、監督を行う警察庁とは別の組織。警視庁も東京都警察として警察庁の指揮・監督を受ける。
東京都内に102の警察署を配置し、2014年(平成26年)4月1日現在の所属警察官数は、43,351人であり事務及び技術職員は2,841人である。
【概要】
東京都公安委員会の下、警察法47条1項に「・・・都警察の本部として警視庁を置く・・・」と定められている。法律上は東京都を管轄する警察組織は、都警察(警察法36条1項)であり、警視庁はその本部である。
他府県の警察組織(例えば大阪府警察や神奈川県警察など)のように警察庁の管区警察局の管理下に置かれておらず、広大な区域を管轄する北海道警察と同様に、警察庁の直接の監督下にある。また都警察は、本部の名称を他の道府県警察とは異なる警視庁と呼称することを法的に認められている。これは、警視庁が地方自治体としての東京都を管轄する警察本部であることに加えて、日本国の首都東京を警備する警察機関、すなわち首都警察としての役目を担っているためとされている。
警視総監が最高責任者であり、その管理・統制を統括するが、警視庁所属の警察官や職員への給与は東京都から支払われ、給与支払者は東京都知事となる。
警視庁本部(本庁)の所在地は東京都千代田区霞が関二丁目1番1号である。この所在地付近の旧称を外桜田門といい、そこで、通称あるいは隠語として警視庁のことを、「桜田門」と呼ぶことがある。
また、首都であり日本有数の大都市である東京を管轄するために、他の道府県警察と比べて質、量ともに充実しており、人口当たりの警察官の比率も全国平均の約2倍となっている。
【人事】
警視庁の最高責任者である警視総監の任免については、警察法の規定により国家公安委員会が東京都公安委員会の同意を得て、内閣総理大臣の承認により実施される。また、警視正以上の警察官の任免は国家公安委員会が東京都公安委員会の同意を得て行うものとされている。
更に、警視以下の階級の警察官および警察官以外の警察職員については、警視総監が東京都公安委員会の意見に基づき任免する。
警視庁は東京都の警察機関ではあるが、上級管理職の多くが警察庁から出向している、所謂(いわゆる)キャリアによって占められている。このキャリアとは、国家公務員採用Ⅰ種試験に合格して警察庁に採用された者であり、他の官公庁と同様に幹部公務員として上級の役職に就任している。
【階級】
通常、我国の警察官の階級は、巡査→(巡査長:警察法に定められた正式な階級ではなく一種の名誉階級)→巡査部長→警部補→警部→警視→警視正→警視長→警視監の順で上位となる。
尚、警視総監という階級は、警視庁の最高責任者だけに与えられる階級で他の道府県警察の本部長には与えられない。通常、道府県警察の本部長は警視監であるが、小規模な県警察本部の本部長は警視長の場合もある。警視庁の副総監(他の道府県警察本部の副本部長に相当)は階級ではなく職名で、階級は警視監。
ちなみに、全警察のトップである警察庁の長官には階級が存在しない。警察庁のNo.2である次長の階級は警視監である。
すなわち、警視監の中から全国の警察のトップとして警察庁長官が選ばれ、通常はこの選にもれた有力な対抗馬の人材が警視総監として都警察を預かる場合が多いとされる。
【組織】
本部・・・警視庁本部には、警視総監、副総監の管理・監督下に、9つの部と一つの本部が設置されている。各部長の階級は、総務・警務・警備・公安・刑事の各部が警視監、それ以外の交通・地域・生活安全・組織犯罪対策の部長が警視長だ。現在、犯罪抑止対策本部の責任者は副総監が兼務している。
総務部・・・秘書、施設管理、会計、装備、広報、情報管理、留置管理業務など、警視庁の組織運営全般、総務担当の組織。
警務部・・・所属の警察官や職員の人事、福利厚生、教育などを担当する組織で、一般企業でいえば人事部に当たる。
交通部・・・交通部門を管轄する組織。交通の安全を守る警察活動を執行するのみならず、交通機動力を活用して捜査を担当する部署もある。
警備部・・・警備・ボディガード・災害救助などを担当する組織。また、警備部には機動隊やSP、SATが所属している。
機動隊とは集団的な警備力及び機動力を有し、治安警備活動や災害警備等に対応する警備警察の部隊である。警視庁の機動隊には、第1~9機動隊と特科車両隊の合計10隊が存在する。通常、一つの機動隊は約250名で構成されており、全体で約2,500名。
SP(セキュリティポリス)とは、閣僚や両院議長、国賓といった重要人物(VIP)を警護するための特殊部署だ。警備部の警護課に属している。
特殊(急襲)部隊 SAT(Special Assault Team)は、重大なテロ事件や銃器等の武器を使用した凶悪事案に対処する部署。
地域部・・・本来、犯罪の予防が任務で地域の市民生活を守る活動を運用管理する組織で、パトカーや白バイ、交番・駐在所などが所属。事件対応配備を担当する通信指令業務なども含んでいる。自動車警ら隊、鉄道警察隊、航空隊なども地域部の所属だ。
公安部・・・公安警察を担当する組織で、一般の警察活動とは異なり、主に国家体制を脅かし国益を侵害する行為や事案に対応する。
公安関係予算は国庫から支出され、捜査費用も非公開だ。部規模(約2,000名)の大規模組織は他の道府県警察にはなく警視庁のみである。
刑事部・・・主に刑法犯罪を扱う組織で、刑事事件に関係する分野を担当している。部内の代表的な部署として、捜査一課は強行犯つまり殺人、強盗、暴行、傷害、誘拐、立てこもり、性犯罪、放火などの捜査を扱う。捜査二課は、知能犯つまり贈収賄、選挙違反、通貨偽造、詐欺、横領、背任、脱税、サイバー犯罪・商法違反などの捜査を担当する。捜査三課は、窃盗・盗犯(空き巣、ひったくり、忍び込み)などの捜査を扱う。他には鑑識課、機動捜査隊、科学捜査研究所などが所属している。
また刑事部には、特殊捜査班SIT(Special Investigation Team)が設置されている。SITは、誘拐事件や人質立て籠り事件等を担当する部署である。
生活安全部・・・少年犯罪や風俗事案、経済環境事件並びに近年はサイバー犯罪やストーカ対策など、防犯保安活動全般を担当する組織。
組織犯罪対策部・・・主に暴力団や銃器・薬物対策・外国人・国際犯罪対策を担当する組織。警視庁では、旧来は刑事部において捜査第四課として設置されていたが独立して部となった。
方面本部・・・第1~第10方面まで、計10の方面本部が置かれており、警視庁本部(本庁)と所轄警察署の間の立場で、担当方面の各警察署をフォローし、また連携して広域対応を実行している。また、各方面本部長の階級は、第1・4・8が警視長、それら以外は警視正である。
(所轄)警察署・・・警視庁には102の警察署がある。各署長の階級は、大規模警察署19署(麹町・丸の内・築地・麻布・赤坂・蒲田・世田谷・渋谷・四谷・新宿・池袋・上野・浅草・本所・小松川・立川・八王子・町田・板橋)は警視正、それら以外の各署の署長は警視である。ちなみに、警視庁管内の筆頭警察署は麹町警察署である。
尚、各警察署には本庁の各部にほぼ対応した課組織がある。例えば警務課、刑事課、生活安全課など。
その他の組織としては、警視庁警察学校などがあり、警視庁警察官の教育・訓練を実施する。2001年に府中市へ移転し現在に至るが、隣接して上級幹部教育を行う警察庁警察大学校がある。
【施設・装備】
本部庁舎や警察署などの大型施設以外には、交番826ヶ所、駐在所258ヶ所、地域安全センター83ヶ所などがある。
車両などの装備としては、パトカー1,263台、白バイ960台、警備艇22隻、ヘリコプター14機がある。
その他として警察犬が40頭、馬15頭と専務的非常勤職員が3,095人ほど勤務している。
その沿革
明治新政府は時の参議である西郷隆盛の発議で、1871年(明治4年)に首府となった東京に邏卒(らそつ)3千人からなる新体制の警察組織を設置した。ちなみに、後に邏卒は巡査と改称される。
翌々年(明治6年)、邏卒総長を務めていた川路利良は警察制度研究のために留学していた欧州から帰国し、首府警察の実現を図るべきであるという建議書を明治政府へ提出した。
この結果、1874年(明治7年)1月15日、東京府の鍛冶橋内旧津山藩江戸藩邸内に東京警視庁が設立された。 同時に川路は警視長に任命され、同年10月には初代の大警視に就任する。
設立間もない1877年(明治10年)、維新後、最大規模の士族反乱となった西南戦争に、警視隊(約9,500名)を編成して派遣し、陸軍部隊と共に戦い反乱鎮圧に貢献した。
それ以降、この東京警視庁は1947年(昭和22年)まで存在し、東京府(後に東京都)の警察を管轄した。尚、東京府以外の府県警察部は知事が管轄していたが、東京警視庁は内務省直轄の官庁であった。
1921年(大正10年)6月に刑事部を設置。1923年(大正12年)9月1日 関東大震災による火災で庁舎を焼失したが、1931年(昭和6年)8月に霞ヶ関に新庁舎が竣工した。1932年(昭和7年)6月に 特別高等警察部を設置したが、1945年(昭和20年)10月にはこの悪名高き部門は廃止される。
戦後、1947年(昭和22年)1月に皇宮警察部を設置。1948年(昭和23年)3月に警視庁は、国家地方警察東京都本部と東京23区を管轄する警視庁などの自治体警察に再編された。この際、皇宮警察部を国家地方警察東京都本部に移管した。また1948年5月には警視庁予備隊が発足する。
1954年7月には、警察法の制定により国家地方警察や自治体警察の統廃合が実施され、現在の警察体制となった。
1957年4月、予備隊を機動隊に改称。1977年から本庁舎建替えを開始、物産館を仮庁舎として使用した。その後、1980年には警視庁本庁舎が竣工し、現在に至る。また、重大事件に関しては下記のアンケートを参考として欲しい。
創立140周年アンケートの結果
警視庁は、今年の創立140周年を記念し、現役の警察官らを対象に、重大な事件や災害・事故を選ぶアンケートを実施し、ランキングを発表した。
このアンケートは、1877年に当時の東京警視本署(一時期、警視庁から組織変更となっていた)から多くの警察官が鎮圧に加わった西南の役から、昨年(2013年)の伊豆大島災害までの合計100件の事件や災害・事故の中から、現役の警察官・職員が1人につき3件を選び、投票したものを集計したという。
その結果、2万1千票余りを集め1位となったのは、1995年(平成7年)に起きた地下鉄サリン事件など一連のオウム真理教による事件であった。
2位は、2011年の東日本大震災で、約1万4,400票を集めた。3位(1万2,187票)は1972年のあさま山荘事件で、4位(7,886票)には1968年の3億円事件が選ばれた。
尚、5位以下の10大事件は以下の通りである。
5位 大喪の礼(1990年)
6位 オウム真理教事件特別手配3人の逮捕(2012年)
7位 世田谷一家殺害事件(2000年)
8位 秋葉原無差別殺傷事件(2008年)
9位 西南の役(1877年)
10位 八王子スーパー強盗殺人事件(1995年)
次回、機会があれば刑事警察/刑事部の活動を詳しく解説してみたいと考えているので、興味がある方は、是非、期待して欲しい!!
-終-
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