さて、ヨハネス・マルクス・マルチの手紙に記されていた、神聖ローマ皇帝ルドルフⅡ世が「ヴォイニッチ手稿」を所持していたかどうかについては、本当のところは不明とされています。
その理由は、ルドルフⅡ世が蒐集した所蔵物の目録(カタログ)に「ヴォイニッチ手稿」が記載されていないことがその根拠とされています。また、ルドルフⅡ世に「ヴォイニッチ手稿」を売りつけたとされるジョン・ディーとエドワード・ケリーの二人(後述)の名がルドルフⅡ世に書籍等を売った人物としての記録に無いのだそうです。
しかし可能性の高い推測としては、皇帝ルドルフⅡ世は誰からか謎の文書を密かに入手して、それをお抱えの錬金術師たちに研究、解読させ様としたのだろうと考えられるのです。
ここで重要な人物が登場します。エリザベス1世の側近で高名な黒魔術師ジョン・ディー(1527年~1608年:英国の数学者・占星術師)が、イングランドからこの古文書を持ち出したとの有力な説があるのです。
ある研究家によると、ヘンリー8世の命令で各地の僧院から古文書などを押収したノーサンバーランド公(ディーは公の子供の家庭教師をしていました)から彼はこの「ヴォイニッチ手稿」を入手したとされます。 そしてジョン・ディーと彼の協力者で水晶球透視者のエドワード・ケリーは、1584年の9月3日にプラハへ赴き、神聖ローマ皇帝ルドルフⅡ世に拝謁したことになっています。
「本日ご持参致しましたのは、かのロジャー・ベーコンの著作物にして、錬金術の秘儀を伝える世にも稀なる奇書でございます。この文書の記述に従えば、鉛を金に変えるのも可能かも知れません。しかしながら、この古文書はロジャー・ベーコンが考案した謎の暗号で書かれておりますので、今のところは誰にも判読出来ないままなのでございます。そこで陛下のお雇いになられている高名な錬金術師の方々にご覧頂き、解読されてはいかがでしょうか。但し、この世の神秘を解き明かす稀代の秘書であるからには、600ダカット以下ではお譲りすることは出来ませんが…。」
きっとこんな感じで、皇帝ルドルフ2世に向けて得々と述べたのでしょう。そしてこの売買金額の600ダカットという額は、ルドルフⅡ世の側、そしてジョン・ディーの日記と、双方の記録で金額が一致していますので、その後、売買は実際に成立したと考えられます。しかし前述の通り、その売買の公式な記録は残っていません。
ここからは推測ですが、この古文書が真の錬金術に関する書物であるならば、その大変な希少価値とローマ教会等への配慮から、この古文書の存在については正規の購入手続きを踏まずに、また所蔵の記録にも残さない様にと慎重に対処したのかも知れません。
しかしこれがジョン・ディー側の提案によるのか、購入側の自主的な対応なのかは知り得ません。
但し、「ヴォイニッチ手稿」を買い取ったルドルフⅡ世ですが、どうもこの二人組を信用はしていなかった様で、この後は2度と謁見を許していません。更に、ジョン・ディーたちは皇帝ルドルフⅡ世と会う前に、ポーランド王ステファン・バトーリとも謁見していますが、バトーリは終始、胡散臭い者に接する態度(ディーをエリザベス1世の魔術師として警戒していたとの説もありますが)で対応していたとも伝えられています。
中・後編では、いよいよ「ヴォイニッチ手稿」の暗号文書の解読について触れようと思います。また併せて、この古文書の摩訶不思議な雰囲気を味わってください!!
-終-
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