民謡「会津磐梯山」の囃子詞に登場するのが、小原庄助さん。あの「朝寝、朝酒、朝湯が大好きで、それで身上(しんしょう)つぶした」と唄われる素敵? な人です!!
小原庄助さん
なんで身上つぶした♪
朝寝 朝酒 朝湯が大好きで
それで身上つぶした♪
ハァ、もっともだ もっともだ!
と唄われる小原庄助さんですが、架空の人物とされながらも、そのモデルらしき人物が3人ほど伝わっています。
最初の1人は、「髭の庄助」と呼ばれた酒好きの郷士で、戊辰戦争で敗死した人物です。その後、会津若松のお寺に葬られたそうです。但し、この人の場合は、息子さん、つまり2代目が酒飲みで身上潰した本人だとの説もあります。
2人目は元禄時代の材木商人で、東山温泉(会津若松市)で豪遊していたといいます。但しこちらは、「身上潰した」のではなく「身上起こした」、と地元では唄われているようです。飲み明け暮れながら事業に成功するなんて、やはり凄いな庄助さんは。
さて3人目が、どうも本命のようです。会津の漆器の塗り師だった小原久五郎、通称「庄助」。あまりの酒好きが祟って仕事が上手くいかず、修行と称して白河の絵師、羅漢山人のところへ転がり込みました。
羅漢山人は、谷文晁の弟子として既に著名な画家でしたが、彼も大酒豪。二人はいたって気が合ったのでしょう。毎日毎日、酒盛りを続けていたところ、庄助さんは深酒が過ぎて頓死。その後、山人も後を追いました。
二人の墓所は、福島県白河市大工町の臨済宗皇徳寺(天恩皇徳寺)にあります。羅漢山人の墓の隣に建つ庄助さんの墓石は、徳利に猪口を重ねたような面白い形で、いかにも呑兵衛らしい愛嬌のあるものです。
正面には、「米汁呑了信士之墓」とあり、その脇には「会津塗師久五郎 安政五年六月十四日」と記されているそうです。そして裏側には「朝によし ひるはなおよし晩もよし 飯前飯後 其間もよし」と彫られ、まさに酒飲みの面目躍如といったところ。休む間も無く呑み続ける訳ですね、本当のお酒好きは。流石に、ここまでは真似出来ません。
※戒名や辞世の句に関しては、若干の異説あり。
因みに、小原庄助さんの出てくる『会津磐梯山』は、福島県に伝わる民謡で原曲は会津民謡の『玄如節』。1935年ごろにレコード化されて全国に知られ、夏祭りや盆踊りでも頻繁に用いられてきました。「小原庄助さん~」に始まる囃子詞(はやしことば)が特徴的です。
次回も、理想の呑兵衛の第二弾として、「蜀山人」をご紹介する予定です。お酒好きの方、是非、ご期待くださいませ!!
-終-
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