その彼女の娘が、シャーロット・オーガスタ・マティルダ Charlotte Augusta Matilda, The Princess Royal です。ドイツ語名ではシャルロッテ・アウグスタ・マティルダとなります。1766年9月29日にバッキンガム宮殿で生まれ、1789年に王の長女の称号プリンセス・ロイヤルを授けられました。
1797年5月に、ヴュルテンベルク公国のフリードリヒ公子(1世)とセント・ジェームズ宮殿で結婚しました。1800年には、ナポレオン戦争の影響でヴュルテンベルクは侵略され、シャーロット王妃は夫フリードリヒ1世と共にウィーンへ亡命します。1803年、フリードリヒ1世はヴュルテンベルク選帝侯となり、ナポレオン没落後には英国の後押しもあり、ヴュルテンベルクは王国として復活することが出来ました。
1816年に夫と死別した彼女は、後に一旦英国に戻り、1828年10月5日にシュトゥットガルトのルードヴィヒベルク宮殿で死去しました。
三人目は、シャーロット・オーガスタ Charlotte Augusta で、 英国王兼ハノーファー王ジョージ4世と王妃キャロラインの唯一の子として1796年1月7日に誕生しました。父がプリンス・オブ・ウェールズであった間に生まれて、そして死去したため、シャーロット・オーガスタ・オブ・ウェールズ Charlotte Augusta of Wales と呼ばれました。最初に紹介したシャーロット王妃の孫で、次のシャルロッテ王妃の姪に当たります。
1816年に、ザクセン=コーブルク=ゴータ家のレオポルド公子(後の初代ベルギー国王)と結婚した。二人は結婚後はイギリスで生活しましたが翌年彼女は男子を死産してしまい、直後の1817年11月6日には死去しました。このシャーロットさんは短命で、ちょっと可哀想ですね。
昔の王族たち、特に女性は大変でしたよね。政略結婚が当たり前の時代ですから。その為、欧州中の王家が親戚同士であることは有名です。そして英国王室に限らず、毀誉褒貶、波乱の運命に翻弄された人々が多いようです。
さて、可愛い女の子が生まれて英国民は大変ハッピーの様です。その経済効果はともかく、 「シャーロット王女」の未来に幸せが待ち受けていることを祈願します。
-終-
《スポンサードリンク》