50年の車歴にピリオド 大山ケーブルカー〈17/38TFU03〉

20150505_113921神奈川県伊勢原市・秦野市・厚木市の境にある「大山」は古くから信仰の名所として栄えました。その大山の中腹に、全長800m、高低差278m、所要時間6分で「大山ケーブルカー」が走っています。ここの古い2両の車両が、間もなく引退してしまうと聞き、最後の姿を見に訪れてみました。

 

大山ケーブルカーは1931年に開通。当時は「大山鋼索鉄道」という名で大山参詣の人々の足を支えました。しかし、太平洋戦争末期の1944年、戦況悪化に伴う鉄材供出や、「不要不急の乗り物」とされてしまい、車両やレールが没収され、廃止になってしまいます。

しかし、戦後20年を経て、1965年には営業が再開されました。

利用客は、1989年度の69万6千人をピークに年々減少を続けましたが、大山が神奈川県の観光の核事業に認定されるなどの追い風もあって、47万人にのぼる見通しだそうです。 営業再開から50年の節目に当たる今年、老朽化した設備更新が、5月18日(月)から9月30日(水)までケーブルカーを全面運休し、総事業費10億円をかけて大規模に行われます。20150505_112613その内容は、車両の入れ替え、老朽化したレールや枕木などの交換などですが、中でも画期的なのが、車両です。1965年から活躍してきた車両を廃車し、新たに新型車両が導入されます。車内電力用・保安通信用の架線は撤去し、リチウムイオン電池の搭載や誘導無線方式の採用などで架線レス(!)システムを実現するそうです。天井高の拡大や車内階段高さの縮小などにより、車内の居住性や移動しやすさも向上されます。車椅子スペースの設置や自動扉開閉時のドアチャイム・ドアランプ導入により、バリアフリー化にも配慮するそうです。

実際に見てきました。車両は1965年に日立製作所で製造されたもの。同時期に国内各地に向けて製造されたケーブルカー車輌と同じようなタイプの車体です。側面の扉数は2つ、窓は4つと、他のケーブルカーより若干小さめです。2005年に更新が行われ、緑色の「OYAMA」号と、赤色の「TANZAWA」号の2つがあります。

20150505_112453この車両の特徴は手動ドア。ケーブルカーは普通自動ドアなのですが、ここは手動ドアなのです。ドアは乗客が開けるのではなく、車掌さんが開けるのです。ちなみに、運転士ではありません。車両に運転台はありますが、このケーブルカーは制御室が別にあるので、車掌さんなのです。また、各駅のホームには必ず職員が待機していて、列車が到着するたびにドアを開けています。私もドアにくっついて立っていましたが、ケーブルカーが終点に到着しようとしている時、車両がまだ動いているにもかかわらず車掌さんが運転台から離れてきて、目の前でドアを内側から開けた姿に驚きました。

さて、車両の外観ですが、愛嬌のある顔をしています。車体のオデコの前照灯は形状が東急旧5000系(渋谷駅前に置いてある緑色の電車です)のような、砲弾型と呼ばれる懐かしい形をしています。20150505_103508その横にある二つ並んだ標識灯も、カバーの形が往年の名車「初代日産グロリア」か、「日野コンテッサ」のヘッドライトのようで、時代を感じます。鉄道マニア目線で見れば、丸いライトや2枚窓の正面など、昭和の鉄道車両の要素が満載です。また、小さなパンタグラフが3つ。通信用と車内電灯用についています。こちらも年代物のマニアにはたまらない代物です。乗り心地は、大きな鉄の箱に乗っているような固い感覚ですが、懐かしさと温かさを感じました。車内にある通信用の黒電話、「ビービー」と鳴るブザー音、白い天井とアルミサッシの銀色の空間、段差の高い車内など時代を物語る風景。古き良きものが、また消えていきます。
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ちなみに、廃車後は保存せず 、だそうです。半世紀におよんだ役目を終える2両の車両。今までの功労をたたえて、保存を望む声もあるようですが、費用や場所などの点から「現在その予定はない」としています・・・。

 

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