まず、伊藤さんがやってきて私と二人でテレビのセッティングをしていると、棚橋さんと佐伯さんが連れだってやってきた。そして12時半近くなり、食事を終えた専務が「お待たせ!」と汗をふきながら戻ってきた。
この顔触れがそろったのは、不動産屋の紹介で喫茶店で会って以来である。
「今日はお忙しいところ、ありがとうございます。やっと作品が出来上がりましたので、ぜひお見せしたいと集まっていただきました。まずは、ご覧頂いて感想をいただければ嬉しいです。」と伊藤さんが挨拶をした。
「楽しみね。」「プロの作品なんて、初めてだわ。」棚橋さんも佐伯さんも本当に、楽しそうだ。専務は、どこかの街頭でもらったパチンコ屋の広告が入ったPOP団扇でさかんに仰いで、「ほんとに、顔や名前がでないんだろうな?」と心配している。社長は出張で不在、小川さんと青木君は電話番を兼ねて、事務所で待機だ。
私は応接室のブラインドを下ろし、テレビのリモコンを押した。伊藤さんがマウスをクリックすると、画面が流れ出した。モノクロの風景が浮かび、古いオルガンのBGMが流れる。
薄暗がりの机の引き出しの中にぼうっと1枚のセピア色の写真が浮かび上がる。その中で、伊藤さんらしき女性にズームしていく。髪型はお下げだが、アニメ顔で写真の人物よりはるかにかわいらしい。
「まあ、可愛く書けてるわね。」棚橋さんが感心したように言う。
彼女がセーラー服姿で、工場の面接を受けている。台詞はなかった。合格の通知を胸に押し抱くように満面の笑顔。工場で多くの工員に交じって、額に汗をしながら黙々と作業をする姿。仕事が終わると、自転車で寮らしき部屋に戻り、銭湯に出かけていく。笑顔で、道行く人たちに会釈する。次の日に、工場の食堂で一人お弁当を食べている伊藤さんに、棚橋さんと佐伯さんらしき二人がハイキングコースのパンフレットを見せて誘っている。
「二人ともこんなに美人じゃないわよ。」佐伯さんが画面の二人を指さして笑う。
画面の中の伊藤さんは恐縮して何度も頭を下げている。寮に帰宅した彼女は、リュックに荷物を積めながら、終始嬉しそうだ。目覚ましを早く鳴らして、早く起きておにぎりを作っている。きれいに弁当箱に並べて、大事そうに持ってバス停で待ち合わせに向かった。亡くなった工場長をイメージした白髪のメガネの男性と、角刈りにした専務らしきサングラスの若者がいた。
「俺、角刈りはしたことないぞ!」専務は立ちあがって言った。
「イメージなんだから、いいじゃない。それに、このヘアスタイル似合うわよ。」棚橋さんがそう言うと、全員が笑った。
バスはやがて、山の中腹に着き、全員で何か笑いながら山頂についた。ベンチで伊藤さんの持ってきた弁当を、おいしそうにほおばる5人。そして、山を下り、バス停近くの橋の上でカメラのセルフタイマーで写真をとる。写真に収まった5人。
画面は一旦暗くなり、やがて、その写真を手にしてベットの上の伊藤さんが浮かび上がる。涙を浮かべて寂しそうな視線の先には、点滴の瓶。ポタ、ポタと規則正しく落ちる滴をじっと眺めている。病室の外では、御両親らしき人が白衣の先生にすがるような仕草をしているが、先生は首を横に振るばかりだ。写真に視線を移した伊藤さんは、夜になると、タクシーを拾い事務所に向かった。ドアノブに手をかけてゆっくり回すと事務所には電気が点いていたが、誰もいなかった。いとおしそうに事務所の中を見回し、やがてバックの中から写真を取り出すと、裏にペンで
「短い間でしたが、みなさんと楽しく一緒にお仕事をさせていただいたことは、一生忘れません。これからも病気と闘いながら、またどこかでお会いできることを心から願っています。」
そう書き残し、空いている机の引出しにしまった。
そして引き出しが開かれると、私をモチーフにしたのかもしれない、中年の男性が不思議そうに写真を手に取った。彼が写真を周囲の人に見せても、みな首を傾げている。専務らしき人に見せると、すっかり禿げて太ってしまったが、これは俺だといわんばかりに自分を指さしている。
「こんなに、太ってないぞ!」再び専務が言ったが、みんな何も答えなかった。
写真の中の人たちの今の姿が重なりあう。シルバーカーを押しながら買い物に行く人。老眼鏡をかけ、新聞を読む人。昼間の公園のベンチにちょこんと座る後ろ姿の人。長い歳月が、はつらつとした日々を遠い記憶に追いやってしまったようだ。私らしき人は、しばしその写真を見ていたが、やがて引出しに戻した。写真の中の人たちは、今の年老いた姿になったが、伊藤さんは写真の中で、そんな彼らを見つめて静かに笑っていた。
マウスをクリックする音で、みな我に返った。しばし、誰も口をきけなかった。しばらくして「伊藤さんのイメージ、ぴったりだと思うわ。」「ほんと。きっとあんな雰囲気だったのかもね。そして音楽も哀愁があって、素敵だわ。」佐伯さんと棚橋さんは口々に言った。
「この内容で、公開して問題ありませんか?」伊藤さんは言った。誰もが異論はなかった。
「ひとつ、いいかな。」専務が口を開いた。「この写真を、デザインにして、商品に付けてみてはどうかとあるひとからアドバイスをもらったんだ。そんな事は、伊藤さんに出来ますか?」伊藤さんは一瞬驚いたが、「ええ、もちろんです。私も、そんな事が出来たらいいなと思っていました。」と言った。「では、アイデアをお願いしますよ。ぜひ検討したい。」専務はえらく乗り気であった。
その日は、作品の評価で結局1時間ほど話をして、解散となった。デモ画面は、社長や小川さん・青木君にも見てもらい、高い評価を得た。
それから2週間ほどして、BS放送のテレビ局から取材申し込みの話が舞い込んできた。
なんでも、佐伯さんの所属するちぎりえサークルの会員が、街頭インタビューで「あなたの選ぶネット動画」というのを聞かれ、熱っぽくこの話語ったらしい。興味を持った番組の関係者が、YOUTUBEで見たところ非常に興味を持ったそうだ。なりゆき上、私が取材に応じることとなり、その様子が放送されると、たちまち反響を呼んだ。伊藤さんの名前は出さないで、取材に応じたが、他の番組で以前の「不動産屋のオヤジ」が伊藤さんの存在をばらしてしまった。
それからがまた大変だった。私は伊藤だと名乗る人が、続々と現れた。それに便乗して「伊藤さんを探す会」「伊藤さん探索ツアー」も企画された。日本だけでなく、海外からもツアーが訪れた。ネット上でも伊藤さん人気は凄まじく、ボーカロイドになってしまい、歌まで歌う始末。キャラクターグッズは飛ぶように売れ、私達の会社も一挙に業績が拡大した従業員も増え、工場は新たに建て増しをし、社屋も高層ビルに移った。もはや伊藤さんは、空想上のアイドルと化してしまい、私達の手の届かないところに行ってしまった気がした。
あの日の写真は、今や会社のエントランスにポスターとして飾ってある。私は時折、その前に立ってこう思う。伊藤さんは、本当はいなかったのではないか。今も伊藤さんを探しているが、全く有力な手掛かりがない。しかし、このままでいいのだ。見つかってしまっては、何もかも終わる。「探す」ということが、私達の会社だけでなく今や世の中の、共通の目的になっているのだ。小川さんが苦笑いしながらやってきた。「課長、受付に伊藤さんと名乗る女性がお見えです。」またか、わたしはつぶやいて、写真の伊藤さんに小さく頭を下げて、受付に向かった。
≪おわり≫
《スポンサードリンク》