尚、後のジャンヌ・ダルクの名誉回復裁判は、 ジャンヌの母親が原告として申し立てを行いピエールが添え書きをしています。ところがこの裁判の真の目的は、名誉回復以上に金目当てだったという考え方の研究者が多いようです。
ジャンヌが教会から破門された状態では、彼女の資産は凍結されており自由に引き出すことが叶わなかったのです。そこでなんとか復権を勝ち取り、残された親兄弟がその莫大な資産を相続しようと企てたという説が有力なのです。
現在では、この生存説に関して否定的な見解が圧倒的に多数です。初めジャンヌの家族、特に兄弟たちは彼女が生き延びたとすることで得することがあると考えていましたが、復権裁判に勝利したことで金銭的な問題も解決しました。そこでそれ以上、偽物をまつりあげる必要はなくなった訳です。そしてこの頃を境としてザルモアーズ夫人のたしかな消息も途絶えるのです。
問題は、家族以外の昔の戦友などの内でも、多くの人々がザルモアーズ夫人を、以前のジャンヌ・ダルクと同じ女性だと認めていることですが、これも何らかの損得勘定によるのだろう、というのが大方の見方なのです。
実はこの話にはまだ続きがあって、1929年に至りこのザルモワーズ家に連なるセルモワーズ家の子孫の一人が、先祖にまつわるこの故事の真偽を調べようとして、ザルモアーズ夫人とその夫の墓石がピュイニー教会の地下に埋まっているところまでは特定したそうです。その後、この調査は甥で本家筋のピエール・セルモワーズ氏へ引き継がれました。
そしてピエール氏は1968年に許可を得て、この教会の床下の墓石発掘調査を行い、遂には15世紀のザルモワーズ夫妻の墓を発見したのです。