フレディ、アルバート、そして今回のB・Bの逝去で、遂にブルース三大ギタリストが絶えた。
ロック少年であった筆者も、B・B・キングの演奏に接してR&Bやよりディープなブルースの世界に入り込んでいった。
明らかに、一時代の終焉である・・・合掌。
ブルース界の巨人、B・B・キング(B.B. King)が、米国ネバダ州ラスベガスの自宅で14日の夜、死去したと米国メディアが伝えた。享年89歳。
彼は60年以上にわたり、ブルース界の第一線で活躍し 「ブルースの王様/キング・オブ・ブルース」と称されて、音楽界に多大な影響を与えた。
B・Bは昨年(2014年)10月にはツアー中に体調を崩し残りの公演をキャンセル、今年(2015年)4月上旬には、20年以上にわたり患っていた糖尿病が原因とされる脱水症により緊急入院。その後は自宅で看護を受けていたようだ。
B・B・キングは、1925年9月16日に米国南部のミシシッピ州イッタベータの農家に生まれた。T-ボーン・ウォーカーやロニー・ジョンソンなどのギタリストに影響を受けたり、教会でゴスペル音楽にも触れていたという。1943年にテネシー州メンフィスに移り住んだ。そこで従兄弟のブッカ・ホワイトの指導でギターの腕を磨き、ラジオ番組への出演をきっかけに人気を博し、1949年にナッシュビルのブレット・レーベルでレコードデビューを果たす。その後、翌年にはロサンゼルスのモダン/RPMと契約、1951年の「スリー・オクロック・ブルース(Three O’clock Blues)」が大ヒットしてR&Bチャートの1位を記録した。以後、多彩で洗練されたギターテクニックとゴスペル調の力強い歌声で一躍スターとなる。
アルバムは50枚以上もリリースしているが、1964年には後に多くのアーティストがカバーしてスタンダード・ナンバーとなった「ロック・ミー・ベイビー(Rock Me Baby)」を発表。他の代表曲としては、1970年の洗練された都会的なメロディーが特徴な「ザ・スリル・イズ・ゴーン(The Thrill Is Gone)」など多数があり、1985年までになんと74回もビルボードのR&Bチャートに入っている。
グラミー賞は15回も受賞。1989年にはアイルランドのロックバンドU2と共演した「フェン・ラブ・カムズ・トゥ・タウン(When Love Comes To Town)」を発表しヒットした。また彼は1971年以降、何度も日本公演を実施している。
B・Bは多くのヒット曲を連発し、その演奏スタイルが他のミュージシャンにも大きな影響を与えたことで音楽界に大きな功績を残したとして、1980年代には「ブルースの殿堂」と「ロックの殿堂」入りを果たしている。
また、まるで「呻くうめくよう」に奏でるギターテクニックは、エリック・クラプトン、ジミ・ヘンドリックス、キース・リチャーズなど多くのギタリストに影響を与えたとされる。ちなみに「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100人のギタリスト」において2003年では第3位、2011年の改訂版では第6位である。
更に「ルシール」と名付けられた彼のギブソン製の特注ギターは有名だ。出演したクラブでの火事に巻き込まれ、危うく燃えてしまうところだった愛用のギターに、火事の(ある女性を巡る些細な喧嘩が)原因とされた、その女性の名前を付けたという。
B・Bの名前の由来は、メンフィスのラジオ局WDIAでDJをしていた頃に、当初、その番組のスポンサーの商品から名前をとった「The Pepticon Boy」と名乗っていたが、後に「Beale Street Blues Boy」、略して「Blues Boy」と呼ばれた。これを更に略したのが「B.B.」だとされる。
また彼は、このラジオDJを経験していたことから、ライブでのトークも巧みで軽妙な話が聴かれたという。
個人的には、1998年に公開された映画『ブルース・ブラザース2000』での勇姿が懐かしく、2000年のエリック・クラプトンとの共演アルバム『Riding With the King』が記憶に新しい。
単にギタリストとしては、筆者はどちらかというとアルバート・キングのラフなスタイルの方が好きだった。勿論、どちらかと言うとだ。しかしクラプトンを「神」と崇める筆者からはB・Bは師匠の更に師匠筋の人物であり、自分は勝手に孫弟子だと思っている。
B・Bはロック界のミュージシャンとの共演も多く、その順応力の高さの反面、あくまで自分の音楽テイストを見失わない個性は素晴らしい。いや、素晴らしかった。ご冥福を祈る!!
-終-
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