【OIC/へぇー!そうなんだぁー♪】の第6回。
明日5月17日(日)に、大阪市を廃して五つの特別区に再編する「大阪都構想」の賛否を問う住民投票が投開票されますが、実は東京都も以前は東京府と東京市に分かれて二重行政を敷いていたのです・・・。
「大阪都構想」のモデルは当然ながら東京都ですが、今から72年ほど前の1943年(昭和18年)、太平洋戦争まっただ中の頃に東京府と東京市は「二重行政の解消」を目的に一元化されたのです。
府・市を一元化して都制とする構想は以前からありましたが、様々な利害の対立や意見の相違から話がまとまらず、最終的には戦時下での首都の行政機能の強化や防空・防衛力整備などの観点から(軍部主導の)政府により強引に統合が決定されたのです。
こうして1943年(昭和18年)7月1日、国会の議決による東京都制法に基づき東京都が発足し、東京の市街・中心部であった東京市と多摩地域他を含めた東京府は廃止されました。但し、この際に制定された東京都は現在の都の性格とは異なり、あくまで国の機関の一部であり、首長は住民の選挙では選ばれず官吏である東京都長官が任命され、実質的には内務省が統制していました。
戦後、1947年(昭和22年)には地方自治法に基づく広域の普通地方自治体に生まれ変わり、首長も都長官から現在の都知事となって都民の選挙で直接選出されるようになりましたが、東京都の名称と行政区域は変更されませんでした。
東京府は、1868年(慶応4年/明治元年)から1943年(昭和18年)までの期間、およそ75年にわたり存続していたことになります。ちなみに東京の当初の読み方は「とうきょう」ではなく「とうけい」で、字画は「東亰」でした。
1868年(慶応4年/明治元年)に明治政府の支配下に入った江戸の町が東京府とされていましたが、1871年12月25日(明治4年11月14日)には廃藩置県が実施され、従来の東京府の他、武蔵国荏原郡と豊島郡、および多摩郡、足立郡、葛飾郡のそれぞれ一部を管轄区域とする東京府が改めて設置されることとなりました。
また東京市は、東京府の東部地域に1889年(明治22年)から東京都が成立する1943年(昭和18年)までの間に存在していました。最終的な市域は現在の23東京特別区に相当します。
市設置の経緯は、先ず1878年(明治11年)7月22日に、東京府は府下を区と郡に分けて、府税収入の多い地域を選別し、麹町区・神田区・浅草区などの15区を設けます。同時に市街地に隣接する旧街道の宿場町及び農村部に荏原郡や東多摩郡などの6郡を置きました。
そして1889年(明治22年)5月1日、東京府は府下に東京市を開設して上記の15区の区域を市に移行しました。しかし、東京市の市制は、同年3月公布の法律「市制特例」によって他の一般市とは異なる変則的な組織・体制となりました。これは東京府の知事が東京市長を兼務しており、市役所も市職員も別途には編成されないというものです。但し、従来の区は各々単独で区会(議会)を有して、東京市の下位の自治体となりました。
その後、1898年(明治31年)10月1日、市制特例撤廃法が成立して東京市に一般市制が施行されます。東京府庁内に市役所が開設され、府知事の市長兼務は廃止されます。そしてしばらくの間は東京市長は官選となりますが、1926年(大正15年)からは市議の互選により選出されるようになりました。
1932年(昭和7年)10月1日、近隣の5郡82町村(荏原郡・豊多摩郡・北豊島郡・南足立郡・南葛飾郡の各全域)を編入して新たに20区を制定、旧来の15区と併せて東京35区となりました。
以後、1947年(昭和22年)3月15日にこの35区は22区に再編され、同年1区が加わり、現在の23区となりました。
尚、現在の東京都は日本の都道府県の一つとして、23の(東京)特別区や三多摩地域などの26の市と一つの郡、そして島嶼部(大島・三宅・八丈・小笠原など)からなる広域地方公共団体(地方自治体)です。また沖ノ鳥島や南鳥島を含む小笠原諸島をも含むため、日本最東端並びに最南端に位置する都道府県ともなっています。
東京都は実質上、日本国の首都であり、また都内の各地域に日本政府の重要な機能(組織・施設等)が設置されている為に、この東京地区が国の内外から広く日本の首都と認識されていますが、意外なことに、東京都が首都であると明示した公的な文書は存在しないとされています。
私は東京都民ですが、「大阪都構想」の行方には大いに関心があります。かつての東京の場合とは異なり、今回は民主的な手続きで決定される訳ですが、さて大阪の住民の皆さんはどの様な選択をなされるのでしょうか?
-終-
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