飛べ富嶽、アメリカ本土を爆撃せよ!! 〈3JKI07〉

このような経緯から、中島の「Z機」はあくまで軍部が正式に開発を指示した「富嶽」とは別モノではあるが、こうして「Z機」を原型とした「富嶽」の機体案が数種類ほど作成・検討されたのだった。また同年中には「富嶽」搭載の大出力エンジンや高々度飛行の為の与圧キャビンなどの開発が開始されるとともに、東京都三鷹市の中島飛行機研究所構内に専用の組立工場の建設が着手された。

しかしながら「富嶽」の開発は困難を極める。5,000馬力を目標とした大出力エンジンや排気ガスタービンの開発、その破格の巨体を支える為の脚部などの降着装置や高々度飛行に耐えうる与圧キャビン・気密設備などの実現に向けて研究課題は山積であった。結果としてエンジン出力は抑えられ、馬力がダウンしたことで爆弾搭載量は当初(「Z機」)の20トンから5トンへと減少、最大速度も680km/hから600km/hへと抑えられている。また、少しでも重量を軽減する為に主脚の大直径二重タイヤ(1本/1トン)は離陸直後に外側を落下させてダブルのものがシングルとなる機構(着陸時には燃料消費から重量が減少すると見込んでいた)を採用したという。

B-36 300px-Convair_B-36_Peacemaker以後、「富嶽」の開発は一進一退の状況のままであった。戦後にB-29を上回る超大型爆撃機のB-36「ピースメーカー」(「富嶽」に近似の規模)を開発したアメリカでさえ、当時の航空技術力や工業生産力では製造は難しいとされていた空前のスケールの爆撃機だったのだから、その頃の我国での開発はまさしく不可能と思われた・・・。

こうして1944年7月には、この計画の有力な支持・推進者のひとりであった東條首相がサイパン島陥落等の戦局の悪化の責任を取って辞職し、また同時に本土防衛戦の為の新型戦闘機の開発に各種資源を優先・集中させる戦争方針から、計画そのものが中止された。

戦況の急激な悪化により、この超巨人機を量産してアメリカ本土を直接攻撃するといった壮大な作戦計画は中止されたのだが、そこには資材や技術、そして研究開発・搭乗員や整備要員などの人材等、各方面での資源不足とともに、陸海軍部や軍需省等が開発方針や要求性能をめぐって激しく対立したことも計画遅延や断念の大きな原因と云われ、やはり国力に見合わない壮大な構想は中止する以外になかったとされるのだ。

 

「Z機」と「富嶽」の概略仕様

        Z(飛行)機 富嶽
エンジン 空冷36気筒中島ハ505×6、

離昇馬力 5,000HP

空冷18気筒中島ハ219×6(2台串型配置)、

離昇馬力 2,450HP/2,800r.p.m、

公称馬力2,050HP/6,400m

最大速度 680km/h(高度7,000m、軽荷) 601.9km/h(高度9,000m、軽荷)
航続距離 16,000km(爆弾20トン搭載時) 18,520km
全幅 65.00m 63.00m
全長 45.00m 46.00m
全高 12.00m 8.80m
主翼面積 350.0㎡ 330.0m²
自重 67,030kg 42,000kg
全備重量 160,000kg(正規) 122,000kg
実用上昇限度 10,200m(正規)12,480m(軽荷) 15,000m(軽荷)
武装     20 mm 機関砲 4門(以上)装備、

航空魚雷20本(雷撃仕様機)搭載可能

爆弾 20,000kg 5,000kg

(上記以外の数値を掲げた諸説あり)

 

※エンジンは中島ハ54空冷式4列星型36気筒との資料がある。またプロペラは、VDM定速6翅・8翅もしくは二重反転4翅のいずれかで計画され、プロペラの直径は4.5~4.8m、最大速度は780km/h(高度10,000mの場合)、航続距離は19,400km以上との異説もあり、各種の仕様数値が残っている。

※アメリカ軍のB-29爆撃機と比較して全長は約1.5倍、全幅も約1.5倍、爆弾搭載量の20トンは約2.2倍、航続距離は2倍近い。

※旅客機や輸送機へ転用する計画もあった。旅客機案は爆撃機より一回り小さい全長33.5m、全幅50m、旅客定員は4席×25列の乗員100名で、輸送機案は全幅が72mに拡大されていた。

※羽田空港拡張工事中に見つかった「富嶽」のものとされるハ50エンジンが、成田国際空港に隣接する千葉県芝山町の航空科学博物館に展示されている。

※第二次世界大戦中、ドイツ軍においては「シルバーホーゲル(銀の鳥)」計画が存在した。オーストリアの科学者であったオイゲン・ゼンガーが提唱したもので、大気の薄い高空(熱圏)を弾道飛行するロケット爆撃機「ゼンガー」でアメリカ本土を横断しながら攻撃し、その後、同盟国の日本が占領していた南方諸島に着陸する計画であった。

-終-

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