ノルマンディー上陸作戦を描くこの連載記事も、第6回を迎えた今回は、上陸作戦当日に関しての米地上軍の行動を中心にみていこう。
既に深夜から活動していた空挺部隊に続き、米軍地上部隊もいよいよ具体的な作戦行動を開始する。この作戦における米軍が担当した上陸地点は、ネプチューン作戦における連合国軍のコードネームである「オマハ・ビーチ(Omaha Beach)」と「ユタ・ビーチ(Utah Beach)」の2地点であり、凡そ上陸対象地域の西側半分を占めていた。
英軍のモントゴメリー将軍(連合軍第21軍集団 総司令官)の下、ブラッドレー将軍が率いる米第1軍傘下の第5軍団(レナード・T・ジェロウ少将指揮)第1歩兵師団他がオマハ・ビーチに、同じく第7軍団(J・ロートン・コリンズ少将指揮)第4歩兵師団他がユタ・ビーチに上陸する作戦とされていた。
さて先ずはオマハ・ビーチ上陸の概況であるが、その海岸線の距離はヴィエルヴィル=シュル=メール(Vierville-sur-Mer)とサントノリーヌ=デ=ペルテ(Sainte-Honorine-des-Pertes)と間の約3.5マイル(5.6km)であった。
そしてオマハ・ビーチ上陸部隊の当面の主目標は、ヴィエルヴィル(Vierville)からサン=ローラン(Saint-Laurent)を挟んでコルヴィル(Colleville)に至る線の南方に進出するとともに、東側のポール=タン=ベッサン(Port-en-Bessin)/ベッサン港と西に位置するヴィール川(Vire River)の間に橋頭堡地帯を確保し、これを守備することであった。
上陸部隊の先鋒は、第1歩兵師団(第16歩兵連隊戦闘団)がビーチの東側を担任し、第29歩兵師団(厳密には第1歩兵師団に臨時分遣された第116歩兵連隊戦闘団)はレンジャー部隊と共に海岸の西側を分担した。また更にこの上陸地点を(連合国軍のコードネームで)細分化してみると、西側からドッググリーン、ドッグホワイト、ドッグレッド、イージーグリーンまでが第116歩兵連隊戦闘団の担任地区であり、引き続き最大規模のイージーレッドとフォックスグリーンが第16歩兵連隊戦闘団の担任地区となっていた。
尚、「ビッグ・レッド・ワン」こと歴戦の第1歩兵師団は、ノルマンディ上陸が第二次世界大戦において北アフリカ、シチリア島に続く3回目の敵前上陸であったが、ここオマハ・ビーチではかつてない苦戦を体験することになるのだった。
これに対し独軍は、この地区では比較的練度の高い部隊である第352師団を中心に重火器による反撃が可能なように、海岸地帯に向けて緩やかな下り傾斜となる形の地形を利用し、また様々な防御施設により鉄壁をうたう(現実には不完全ではあったが)「大西洋の壁」の建設を実施していた。
当初、この海岸地帯に配備されていた独軍の守備隊は、弱兵の第716歩兵師団とされていたが、実際には東部戦線における激しい戦闘体験を持つ第352歩兵師団であり、この師団の存在は、数時間前に連合軍の情報部門から米第1軍の司令部には通報されていたが、まだこの事は旗下の部隊には知らされてはいなかったとも云われる。但し、情報部門も6月4日の時点では第352歩兵師団の主力は海岸から20マイルも離れたサン=ロー(Saint-Lô)周辺に展開していると考えていたようだが・・・。
連合軍の上陸に先立つ海岸防御陣地への空爆は大規模に実行されたが、目標の誤認や誤爆によりその効果は薄く、ほとんどの爆撃は目標地点よりも内陸側にずれていた。また艦砲射撃も約40分と短時間であったためか、空爆と同様に効果が上がらなかった。その結果として最初の部隊が上陸した際には、独軍の防御陣地はそのほとんどが残存し、其処に拠る独兵たちは連合軍の上陸を冷静に待ち構えていたのである。