【ノルマンディー上陸作戦70周年記念(6)】 6月6日Dデー・・・上陸作戦当日・後編 -1、米地上軍の戦い 〈3JKI07〉

特に上陸第一波、最初の攻撃部隊は殊更酷く損害を被った。そして部隊の犠牲者は非常に広範囲に及んでいた。

事前に充分検討されていたハズの作戦計画だが、強い風と大きなうねりにより十隻もの上陸用舟艇が目標地点からはほど遠い地点で戦わずに沈没するに及んでは、参加部隊の広範囲に大きな混乱状態が引き起こされた。しかし幸いにも、上陸作戦が干潮時に実行されたので、独軍の海底障害物は水面上に露出しており上陸用舟艇はそれを回避することが出来たので部隊の多くが海岸線に無事到達した。

ところが一部の上陸用舟艇は、海岸から数十ヤードも手前で砂州に乗り上げ、兵士たちは武器と共にその地点で下船して波間を陸上まで歩いて渡らざるを得ず、重装備に足を取られて溺れたり、礁を苦労して上陸する間に敵の砲火に晒される事となり、あっという間に乗員全員が即死した舟艇もあった。

だがこの時、上陸用舟艇の乗組員の技量と勇気が数多くの兵士の命を救ったともいう。舟艇のタラップが降りた瞬間、そこには独軍の重火器の集中砲火が飛来したが、銃砲陣地の狭間や煙幕が着弾した地点を選びながら、巧妙に独軍の射線を避けて接岸した舟艇に乗船していた部隊は、幸運にも殆ど損害無く上陸に成功したのだった。

 

またこの時、上陸時の装甲戦力支援の為に投入された(第16歩兵連隊戦闘団を支援する)第741戦車大隊29両(総勢32両の内3両は揚陸艦の扉の不具合の為に発進できず、後に無事上陸する)の強襲上陸用水陸両用シャーマンDD戦車の内27両は、海岸に到達する前に荒れた波頭に浚われたか、誤った指示や混乱した指揮により多くの損害を出してしまう(上陸に成功したのは2両のみ)。ちなみにシャーマンDD戦車は、海岸線から5km以上も手前で揚陸艦から降ろされ大きな波の中で海上を進軍したが、この距離は当時の水陸両用戦車には遠すぎたのだった。

尚、第116歩兵連隊戦闘団を支援する、いまひとつの戦車部隊である第743戦車大隊のシャーマンDD戦車は、第741戦車大隊の悲劇を目撃した揚陸艦の指揮官の判断により、直接、海岸まで送り届けられて無事上陸を果たすが、計画よりも大幅に遅れての参戦となった。そしてこの第741戦車大隊保有の支援戦車を大量に失った事も、オマハ・ビーチ上陸部隊に苦境をもたらす大きな原因となったとされるのだ。

 

作戦開始から約2時間を経た0830時になっても、先鋒部隊は波際からわずか50mほどの幅の海岸にしがみついていた。独軍守備隊の反撃により海岸へ釘付けとなった第一波の上陸部隊では死傷者が続出しており、そこへ第二波以降の部隊が次々と押し寄せて海岸線の部隊は大混乱に陥っていたのだ。

沖合いの指揮艦船の上でこの窮状を知った第1軍司令官オマー・ブラッドレー中将は、一時はオマハ・ビーチでの上陸を中止してこの兵力をユタ・ビーチへ転進させることを検討したとも伝わるが、結局、彼はここで危険な賭けに出る。それは、米軍部隊が釘づけとなっている直ぐ向こうの独軍陣地への(巡洋艦以上の大型艦からの)近接艦砲射撃の要求であった。

これは極めて危険性の高いもので、一歩間違えば味方の上陸部隊をも吹き飛ばしかねないものであったが、結果は成功し、巨弾に叩かれた独軍陣地からの射撃は一時的に途絶えることとなる。また何隻かの連合軍の駆逐艦は、独軍防衛部隊の激しい射撃に対抗して危険を顧みず果敢に海岸近くまで接近して砲撃を繰り返し、そして更に上陸部隊援護の為に煙幕を展開していた。

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