その後、独軍第709歩兵師団が守るユタ・ビーチ付近の沿岸防御拠点のほとんどが、最初の十数分の戦闘で制圧された。また昼までには後続の第12と第22歩兵連隊戦闘団も上陸し、午後の早い時点で第4歩兵師団は全軍をあげて内陸部へと進軍を開始、一部地点では夕刻までには空挺部隊との連携が確保された。こうしてユタ・ビーチではその日の終わり迄には、23,000人以上の兵士と1,700台にのぼる車両が無事に上陸を果たしたのだった・・・。
さて、ユタ・ビーチでの戦闘がオマハ・ビーチと比べて数少ない(200人に満たない)戦傷者で済んだ事には、多くの原因があると考えられている。
独軍守備隊の第709歩兵師団が第352歩兵師団に比べて弱兵であったこと、独軍の防御施設が脆弱で少なかったこと、事前の空爆の効果が比較的あったこと、水陸両用戦車のほとんどが上陸に成功して歩兵を支援したこと、そして何よりも大きな理由としては、既に前夜より独軍と戦闘を繰り広げていた第101空挺師団と第82空挺師団の存在が挙げられる。
大きな損害(第101空挺師団の損耗率は40%)を出しながらも、降下地点から海岸に向かって敵を攻撃しながら進軍していた空挺部隊は、この地区の独軍を圧迫し混乱させて上陸地点での効果的な反撃を大いに妨げたのである。
連合軍はオマハ・ビーチを除く4地点の制圧には比較的早期に成功し、更にその日の夜までには5橋頭堡全てを確保した。独軍にとっては、反撃に備えるために英軍の進撃が停滞(次回解説)し、上陸初日に占領する予定だったカーンに到達することができなかったことが唯一の戦果であろう。そしてカーンの町は、その後も英軍と独軍の戦闘の焦点となる。
-(7)に続く-
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