五右衛門あるある
一部には、毎年12月12日が五右衛門の命日とされますが、これは嘘。但し、泥棒除けの為に「12月12日」と書された御札をドアや窓に貼る風習が、全国各地に残っているそうです。
また「五右衛門風呂」とは風呂の一種で、鋳鉄製の風呂釜に直火で湯を暖めるもの。厳密には、全部鉄でできているものは「長州風呂」と呼び、ここで云う「五右衛門風呂」は、縁が木桶で底のみが鉄のものを指します。現在はドラム缶の風呂、木桶風呂なども「五右衛門風呂」の愛称で親しまれています。
鴨川の七条辺に釜が淵と呼ばれる場所がありますが、五右衛門の処刑に使われた釜が流れ着いた場所だそうです。また、五右衛門処刑の釜といわれるものは江戸時代以降長らく法務関係局に保管されていたのが、最後は名古屋刑務所(東京の刑務所協会とも)にあり戦後の混乱の中で行方不明になったとされています。
金の鯱(名古屋城・大坂城など諸説あり)を盗もうとしたとも伝わりますが、これは別の盗賊談の混同かと思われます。
※たぶん柿木金助のこと。正徳2年(1712年)に大凧を用いて名古屋城の金鯱の鱗を盗んだというが、これも歌舞伎『傾城黄金鯱』での話。
京都市伏見区の藤森神社に石川五右衛門寄進という手水鉢の受け台石があります。前田玄以の家来衆に追われた五右衛門が神社に逃げ込んだ際、神社が管轄が違うと引き渡しに直ぐに応じなかった為、まんまと逃げおおせたとされます。その御礼として、宇治塔の島の石造十三重塔(現重要文化財)の笠石を盗んで台石として寄進したものとされ、その為か塔の島石塔の上から三番目の笠石は他のものに比べて新しいのだとされています。
五右衛門の隠れ家は、東山大仏(方広寺)門前にあった大仏餅屋にあったとされます。そしてそこから鴨川河原に通じる抜け穴がありました。
歌舞伎の『楼門五三桐』に登場する南禅寺山門は、実際には五右衛門の死後30年以上経った寛永5年(1628年)の建築なので、物語にはムリが生じます。またこの作品で五右衛門は、明国の高官宋蘇卿(実在の明の貿易家宋素卿のもじり)の遺児であり、養父は武智光秀(明智光秀のこと)という荒唐無稽な設定となっています。
変わったところでは「ゴエモン-コシオリエビ」は、沖縄近海に生息する甲殻類の一種です。一亜科一属一種という変わった特徴を持っており、深海700m~1,600mの海底の熱水噴出孔周辺に生息しています。その特徴から、上記の「五右衛門風呂」が連想され、こうした名前となりました。蝦(エビ)とされていますが、実際には蟹(カニ)にも似ています。
最近の若い人に聞いたら、「“石川五右衛門”と云えばルパンⅢ世の仲間でしょ!」と言われました。確かにそうですね。私たちも、あの何でも一刀のもとに切伏せるゴエモンには馴染みが深いですけれど‥‥。
実際の五右衛門についての歴史的な史料は多くはありません。でもそのことが逆に創作者(クリエーター)たちの想像力と創作意欲をかき立てているのは間違いなく、古今東西(西はないか‥‥)、歌舞伎や浄瑠璃、講談に漫画やアニメ、そして映画だけではなくて、(義賊/スーパーヒーローであることを前提とした)彼に関しての数多くのフィクションが次々と生み出される原動力なのでは、と思われるのです!!
-終-
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