株式会社宝島社(代表取締役社長:蓮見清一 本社:東京都千代田区)は、2015年8月25日発売の10月号をもって雑誌『宝島』を休刊する、と発表した。
『宝島』は、1973年7月10日に晶文社より『WonderLand(ワンダーランド)』として創刊以来、「タブーに斬り込む知的探求マガジン」というキャッチコピーで、他誌にはない視点で鋭く時代を切り取る独自の表現で、多くの読者に支持されてきた。
当初は、植草甚一氏(責任編集~名誉編集長)らの手によって世に出された音楽&サブカルチャー誌(創刊号の特集はキャロル)であり、1970年代のサブカルチャー文化の一翼を担った雑誌だったが、その後は何度かのコンセプトの変更を繰り返している。途中、休刊と復刊を経ながら、ほぼ10年毎に方向性を変え、音楽&サブカルチャーからアダルト情報、ビジネス情報、そしてアングラ情報へとこれまでに多くのメインテーマを扱い、常に新たなジャンルに大胆に挑戦してきたが、最近の同誌はアングラ情報を中心とした情報誌という位置づけである。
1970年代の「宝島」は、マイナー志向のカルト的サブカルチャー雑誌であったが、その扱う内容が極めてマニアックな為に発行部数は伸び悩んでいた。
しかし1980年代に入ると、パンクやニューウェーブの音楽やファッション、そしてその関連の文化の特集を組むようになり、80年代も後半になると当時のバンドブームも相俟って部数を伸ばしていく。この頃は全ページにカラーグラビアを採用し、誌面はストリートファッションやロックバンド特集などとともにポップカルチャー関係の記事で埋め尽くされていたと記憶している。ちなみに当時は、思想的には反戦反核路線を明確に支持していたと思われる。
またこの頃には、以前(70年代)の「宝島」の雑多で泥臭い感じは薄れていたが、名物の連載コーナー『VOW(バウ)』(Voice Of Wonderlandの略、当初は情報コーナーであり後には読者投稿コーナーとなる)の人気は不動であった・・・。
ところが「宝島」は、バブル崩壊とバンドブームなどの音楽ビジネスの低調化傾向に合わせてか、1992年頃から突如アダルト雑誌へと転進するのだ。
1992年11月には一般雑誌で初めてヘアヌードを掲載して、周囲をあっと驚かせたりもした。当時の誌面には、風俗情報やSEX関連の記事が多く掲載され、それ以前とはまったく異なったコンセプトの雑誌に変身してしまうのだが、出版元の目論見は当たり発行部数は20万部に達した。
この大胆な方針変更は、従来からの読者のみならず一部の編集者などからも強い批判を巻き起こし、退職者などが相次いだともいう。
しかしその後、2000年3月15日号からの週刊化以降はアダルト路線を取り止めて、再び方向性を大幅に変更した。それまでの風俗関連の記事やヘアヌードなどの扱いは途端に減じ、なんと180度の方針転換によりビジネス関連の記事や新製品情報などが重点的に掲載されだした。
こうして2001年頃にはビジネス誌というコンセプトがほぼ確立され、90年代とはまったくの別の雑誌として生まれ変わった「宝島」であるが、競合の多いビジネス分野では苦戦が続いた。
結局は2003年頃には再び月刊に戻り、2010年頃を境にビジネス・経済誌的側面は徐々に影を潜め、現在のアングラ情報誌としての性格が色濃く強調される様になり、所謂、裏社会を果敢に取材した記事を前面に打ち出した雑誌として現在に至っていた。
同誌から、『別冊宝島』や『別冊宝島Real』、『VOW~』といったムック本等が生まれていった。尚、創刊時の誌名『WonderLand』は、現在も同誌の英文表記として使われている。
今後『宝島』は、定期雑誌という形は一度役割を終え、宝島社の保有する各ブランドやコンテンツを活用した新たな事業に繋げていき、同誌のブランドを生かし、ムックの発行や、企業・自治体とのグッズ共同開発などを計画しているとのことだ。
また宝島社は『宝島』の休刊以降も、ファッション雑誌販売部数トップシェア企業として、より多くの方に喜んでいただけるコンテンツを提供しいく、としている。
最近では『宝島』誌を購読するようなことはほとんどなかったが、70年代~80年代のこの雑誌は、当時の若者のバイブルとしてもて囃された雑誌のひとつだったことには間違いなく、筆者にとっても、大変懐かしい雑誌である。
そう言えば、最先端のアメリカン・カルチャー(映画とJazzなど)と海外ミステリー小説の楽しさ、素晴らしさを紹介してくれた、あの(故人)植草甚一さんのことも、今回の『宝島』休刊の報に接し思い出した。またこの雑誌は、作家の片岡義男さんも編集長だったし、嵐山光三郎さんも編集に携わっていた。たしかイラストレーターの大橋歩さんやコピーライターの糸井重里さんも関わっていたとの記憶があることから、改めて、時代を創ってきた偉大な雑誌であると再認識させられた。
そして何より想うのは、「我が青春時代(=70年代)は遠くなかりけり」、の一言である・・・。
-終-
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