【ノルマンディー上陸作戦70周年記念(7)】 6月6日Dデー・・・上陸作戦当日・後編 -2、英連邦地上軍の戦い 〈3JKI07〉

米軍より少し遅れた午前7時30分以降、英軍の担任地域でも上陸作戦が開始された。英連邦軍の上陸地域では米軍に比べて全般的に人的被害が軽微であったが、上記の戦車等の装甲車両や特殊な工兵車両の大量投入といったことに加えて、上陸時に濃い霧が立ち込めていたことも英軍側に幸いしたと云える。

 

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ゴールド・ビーチでは独軍は海岸崖上の村を防衛拠点として強化しており、その背後には危険な湿地帯が続いていたが、上陸した英軍各部隊とも機甲部隊の到着と共に戦車を先頭に独軍の海岸陣地を潰しながら進撃を開始した。『ファニーズ』の怪物たちの働きで、最初の1時間以内に水陸両用戦車に先導された第69歩兵旅団の歩兵たちは内陸へと約1.6kmは進んでおり、海岸付近を守る独軍の堅固な防衛線は突破されていた。

午前11時までには、ゴールド・ビーチ周辺の主要な7本の道路が掃討確保され、第69歩兵旅団に続く第二波の増援部隊、第56歩兵旅団と第151歩兵旅団が上陸し、海岸前面の独軍陣地の中央突破に成功する。

そして歴戦の勇者である英第50師団は幾多の障害を克服し、中でも第69歩兵旅団等はその日の終わりまでにバイユーの周辺に向かって前進していた。

また英軍第47海兵コマンド連隊は最後に上陸した英軍の海兵コマンド部隊で、ゴールド・ビーチ右翼(西端)のルアメルに進出した。彼らの任務は内陸に進撃して西方に向かい、敵領内へ10マイル(約16km)ほど進軍、ポール・タン・ベッサンを背後から攻撃することだった。この石灰岩の断崖で守られた小さな港は、沖合のタンカーから海底パイプを通じて燃料供給を行う為の港湾施設として、初期の最重要目標となっていたのだ。

彼らは重い装備を背負いながら徒歩と自転車で猛進して、午後3時ごろまでにはベッサン港を襲撃可能な位置に辿り付いていた。

 

午前7時35分、ジュノー・ビーチ沖に到着したカナダ軍は独軍の敷設した障害物に行く手を阻まれたばかりか、海岸の岩場や砂州の影響で上陸は困難を極めた。しかし英軍上陸地域の中央部に位置する彼らは、橋頭堡全体の厚みを確保する為にも、大至急、前進する必要があったのだった。

ジュノー・ビーチのカナダ軍は、干潮のおかげで踏破すべき砂浜は(最短では90m程度と)短くなってはいたが、上陸直後に155mmや75mmの重砲を据えた多数の独軍砲台に直面した。またそこには多くの機関銃座とトーチカに守られた砲座やコンクリートの堡塁、そしてオマハ・ビーチの二倍の高さの護岸堤が立ちはだかっていた。この為、この地点に向かった第一波上陸部隊は、オマハ・ビーチを除く他の上陸地点の中で最高の死傷者を出すこととなった。

カナダ第3歩兵師団傘下の第7と第8の両歩兵旅団は、各々ジュノー・ビーチにあるスール川の両岸を防波堤に向かって進んだ。第7歩兵旅団の先陣はウィニペグ歩兵連隊とリジャイナ・ライフル狙撃兵連隊が務め、スール川西岸側に上陸。左翼の東側では第8歩兵旅団のクイーンズ・オーン歩兵連隊とノースショー歩兵連隊が戦車なしで進軍していた。クイーンズ・オーン歩兵連隊は独軍の激しい機関銃射撃を受けて一時的に前進が停滞したが、戦闘工兵を中心とした敵拠点への排除攻撃が功を奏し、後続部隊が上陸した時にはこの地区の独軍は完全に制圧されていた。

こうしてこれらの障害にもかかわらず、ここでも特殊車両と戦闘工兵部隊の活躍でカナダ軍は数時間の内に海岸線を制圧し、内陸へと進軍を開始した。そしてカナダ第6機甲連隊(第1軽騎兵連隊)の分遣隊は、15km内陸のカーン~バイユー間の主要道路に到達するという目的を達成した唯一の連合軍部隊となる。

Dデーの終了までに、ジュノー・ビーチには約15,000名前後のカナダ兵が上陸する。またこうしてカナダ第3歩兵師団は上陸拠点での独軍の激しい抵抗に直面したにもかかわらず、他の連合軍部隊より内陸に侵攻したのだった。

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