【ノルマンディー上陸作戦70周年記念(7)】 6月6日Dデー・・・上陸作戦当日・後編 -2、英連邦地上軍の戦い 〈3JKI07〉

ソード・ビーチでは英軍第3歩兵師団が上陸に成功し、彼らの死傷者はいたって少数であった。右翼では南ランカシャー連隊が第3歩兵師団第8歩兵旅団の先頭に立ち、機甲部隊と共に独軍拠点を素早く掃討しては内陸部に向かい、2.4km先のエマンビルへ予定時間に到達した。しかし向かい側のペリエール高地に陣取る独軍第716歩兵師団の多くの対戦車砲と反撃に出てきた独第21装甲師団の姿に怖気づいた彼らはここで塹壕を掘り、待機してしまう。また後続の英軍第185歩兵旅団も、ペリエール高地へ向けての移動に手間取り強襲が出来なかった。

海岸では南ランカシャー連隊の左側で姉妹連隊の東ヨークシャー連隊が、より多くの抵抗を排除しながら戦いを進めていたが、予想外の抵抗で少なからず損害を受けて進撃速度が鈍り、当初の予定より時間がかかり過ぎていた。

この様に前進が送れていた理由には、当然乍ら独軍の抵抗もあるが、次から次にと押し寄せる増援部隊による海岸付近での交通渋滞があげられる。狭い道路を、其々が自らの目標地点に向かおうとしている各部隊の大量の車両によって、手が付けられないほどの大混乱に陥っていたのだ。

そんな中、エマンビルへ到着したシュロプツシャー軽歩兵大隊は単独で前進を開始。スタフォードシャー義勇農騎兵部隊の戦車や自走砲と合流してカーンから5kmほど離れたビエビルに辿り付いた。そこで彼らは対戦車砲と自走砲を配備して独軍第21装甲師団の一部々隊を迎え撃って撃破に成功する。しかし再開したシュロプツシャー軽歩兵大隊の(側面を進撃予定の他の英軍部隊の前進が遅い為に)進撃速度は鈍り、ついには停止してしまった。

その頃、ようやくペリエール高地を奪取した英軍は部隊を西方へと向かわせたが、カーン方面(東南)への突進は鈍り、機動の弾みを失ってしまった。

 

全上陸地域の最左翼(東側)に上陸した英軍の第1特務任務旅団は、自由フランス兵の部隊を伴った英第4海兵コマンド連隊を先陣として、上陸第二波として到着した。

ブレンガンキャリアー101 6 iunie
上陸するブレン・ガン・キャリアー

彼らはオルヌ川の河口の街ウイストラムに個別の目標を持っていた。自由フランス兵部隊の目標はブロックハウスとカジノであり、第4海兵コマンド連隊の目標は海岸を見下ろした二つの砲台であった。ブロックハウスはコマンドのPIAT(Projector Infantry Anti Tank、対戦車グレネードランチャー)では破壊が困難であったが、カジノの方は戦車の支援によって撃破することが出来た。

第4海兵コマンド連隊は、目標の二つの砲台がすでに砲の外された砲架だけだったことを確認し、後続の歩兵部隊に残敵掃討の任務を任せて、第1特務任務旅団の他の部隊(第3、第6および第45海兵コマンド連隊)と合流する為にウイストラムから内陸部(オルヌ川上流)へと移動し、引き続き前夜に降下した英第6空挺師団の将兵との合流を目指して進軍した。

彼ら(海兵コマンド部隊はグリーン・ベレーと呼ばれた)は、昨夜から降下地点で独軍と死闘を繰り広げている空挺部隊(英軍第6空挺師団の諸隊)のもとへと急行したが、ジョン・ハワード少佐率いるベヌヴィル/ランヴィル橋奪取部隊(前々回の本稿にて解説)などを除く多くのレッド・ベレー(空挺部隊)たちは、いまだ少しの時間、苦境に耐える必要があった・・・。

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