さて今回は、前回に引き続き上陸作戦当日の連合軍地上部隊の行動を見てきたが、連合軍の怒濤のような攻撃の前にはほとんどの上陸地点で独軍は効果的な反撃を実行出来なかった。事前の砲爆撃で防衛拠点が破壊されていた所も多く、そうでなくとも通信網が寸断されていたことで、各拠点は別個に孤立して戦闘せねばならず、有効な組織的抵抗は不可能であった。
そんな中で、この日この地域における最初の独軍機動兵力による反撃は、第21装甲師団がジュノー・ビーチとソード・ビーチとの間の地域で実施したものである。
事前のロンメル構想では、連合軍の上陸に際しては直ちに第21装甲師団が反撃に出るはずだったが、海岸地域への攻撃命令が出たのは午前10時過ぎになってからであった。更に当初、オルヌ川東岸の英軍空挺部隊(第6空挺師団)の空挺堡を攻撃していた同部隊は配置転換に手間取り、海岸攻撃に向かった時には正午を回っていた。そして、航空偵察で第21装甲師団の来襲を知っていた英軍は、その時には対戦車砲陣地を築いて第21装甲師団を待ち受けていたのだ。
第21装甲師団主力のヘルマン・フォン・オッペルン=ブロニコフスキー(Hermann von Oppeln-Bronikowski)大佐が率いる第22戦車連隊は、一日でその兵力の半分を失って反撃は頓挫、退却せざるを得なかった。また20時頃、同師団の第192装甲擲弾兵連隊第1大隊が英軍部隊の間隙をついて奇跡的に海岸線にまで到達したが、増援がない為に逆包囲される前に撤退することになる。
これはノルマンディ戦の初期において、独軍が(一時的にせよ)勝利する唯一の勝機を逃したことを意味した。この時、あとわずかでも独軍の増援部隊が海岸線まで派遣されていたら、また装甲部隊がより早く的確に行動出来ていたら、戦況は大きく変わっていたかも知れない。
しかし、英連邦軍はその日の終わりまでに約5マイル(8km)近く進撃したが、モントゴメリーが希望していた目標の幾つかには到達出来づに終わる。そして最も重要なことは、主要目標のカーンが、上陸当日の終了時にもまだ独軍の支配下にあったことである。
いよいよ次回は連載の最終回として、上陸作戦当日の独軍側の対応をみていこう。併せてDデーの全体像、並びに総括的な評価や意義にも触れたいと思う。
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【参考動画】
【ノルマンディー上陸作戦70周年記念(1)】 6月6日Dデイに向けて・・・『オーバーロード』作戦の立案と概要編・・・はこちらから
【ノルマンディー上陸作戦70周年記念(2)】 6月6日Dデイに向けて・・・連合軍側の事前準備・編成(戦闘序列)と攻撃目標編・・・はこちらから
【ノルマンディー上陸作戦70周年記念(3)】 6月6日Dデーに向けて・・・独軍側の迎撃態勢編・・・はこちらから
【ノルマンディー上陸作戦70周年記念(4)】 6月6日Dデー・・・上陸作戦前夜編・・・はこちらか
【ノルマンディー上陸作戦70周年記念(5)】 6月6日Dデー・・・上陸作戦当日・前編・・・はこちらか
【ノルマンディー上陸作戦70周年記念(6)】 6月6日Dデー・・・上陸作戦当日・後編 -1、米地上軍の戦い・・・はこちらから
【ノルマンディー上陸作戦70周年記念(8)】 6月6日Dデー・・・上陸作戦当日・後編 -3、独軍の戦い 並びに作戦の総括・・・はこちらから
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