今年の一般参賀、私は第2回目のお出ましである11時00分の回を目指して皇居に向かった。東京メトロ千代田線、二重橋前の駅を降りる。暖かく、日差しがまぶしい。背後の東京駅や有楽町方面からもぞろぞろと人波が続く。観光バスの多さ、ガイドの旗に先導される団体の多さ、この時点で、昨年より外国人の姿がやたらに目についた。
荷物検査のテントが前方に見えてきた。ここだけで20分程度並んだ。日の丸の小旗をもらい、ひたすら並ぶ。
今回もまずはカバンや持ち物のチェック。誰もが鞄を開け、中身を見せる。私の持っていたショルダーバックには、小さな内ポケットがついているのだが、今回はその中身も厳重に調べられた。その先にはボディチェック。今回は金属探知機ではなかった。服の上から調べられたが、こちらも昨年より念入りに感じた。
そして入場の列に並ぶ。ロープで仕切られて、四列横隊で、10列の長い列。そこでは約30分待ち。この列に並んだ際、前は中国人のグループ。横は欧米系の夫と日本人の夫婦。後は6人ほどの英語圏のグループ。日本人は、私の周囲には殆どいない状況だった。やはり、外国人旅行客の増加が反映されていた。日の丸を嬉しそうに手にし、整然と並ぶ鈴かな大群衆を彼らはどんな感覚で見ていたのだろう。その列に並んでいるとき、昨年までには見られなかったような光景を見た。ロープをはさんで声高に話し、列を逆走し、警備の警察官に何やら話しかけ、行列に耐えきれなくなってつまらなそうに帰る団体。それをしていたのは、秋葉原や大阪に押し寄せる国の人々だった。そんな姿を見て、溜息をもらした人は決して少なくなかった。
列が動き、桜田門からの長い列と合流。そちらは日本人が多かった。大きな列になり、二重橋を渡る。
二重橋が見えてきた。先は長い。橋の上では写真をとる人が多く、その度に列は一斉に停まる。立ち止まって写真を撮っているのも、外国人だ。警備放送も多言語対応しなければいけないのか?
化粧直しされた二重橋正門(旧西の丸大手門)をくぐり、伏見櫓を左に見てゆるやかに右の上りながら曲がり、橋をもうひとつ渡る。明治10年に掛け替えられるまでは、木橋だったという。そして、人の波に押されて長和殿前の広場に。
その時はお出ましになる40分前で、前のお出ましを終えて帰る人と入る人でごった返していた。宮殿に向かって右手に誘導されるが、群衆はバルコニー正面をめざすので、いびつに列の形が変わってしまう。皇宮警察官がハンドマイクで誘導しているが、あまり効果はないようだった。ここでも外国人の多さに驚く。私の周囲は外国人6、日本人4くらいであった。聞こえてくる言葉は英語、中国語。日本人から聞こえてくるのは「見えない」という声が殆ど。やがて自然に治まった人の流れ。じっと空を見れば、飛行機の機影がひとつ、ふたつ。群衆は、静かに待っている。
11時00分、長和殿のバルコニー後ろの襖が開き、皇族方のお出ましだ。
一斉に日の丸の旗が振られる。女性皇族方の鮮やかな衣装が際立つ。車椅子でお出ましは100歳の百寿を迎えた三笠宮様だ。ひとしきり旗が振られた後、天皇陛下のお言葉。群衆が静まる。旗も申し合わせたように静まる。
「穏やかな新春を迎えました。みなさんとともに新しい年を迎えることを誠に喜ばしく思います。本年が国民一人一人にとり、安らかでよい年となるよう願っています。年頭に当たり、我が国と世界の人々の平安を祈ります。」空気が留ったように、あれだけの群衆が固唾をのんで聞いていた。
陛下のお言葉が終わるや、再び一斉に旗が振られる。後方に陣取った方々から「天皇陛下、万歳!」の歓呼が何度も何度も湧き上がる。拍手も巻き起こる。目の前のアジア人の外人グループも、笑顔で日の丸を振っていた。10分ほどで一般参賀は終了し、再び人の波と共に、坂下門にゆっくりと押し流される。「やっぱり、綺麗だわ!」「テレビで見たほうがよかったね。」様々な感想が聞こえるなか、私は群衆と共に坂下門をくぐった。堀端の松と櫓の白壁が美しい。
人波はやがて大手町駅の地下階段に吸い込まれていった。
今回の参賀に訪れた人は平成に入って2番目となる計8万2690人だったという。
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