李氏朝鮮(李朝)の身分・階級制度 〈2408JKI27〉

一時期のブームが去って久しい『韓流ドラマ』ですが、依然としてテレビ等ではある一定の視聴者の支持を受けている模様で、昨今でも新作を交えて繰り返し放映されているみたいですね。

私もそれらの『韓流ドラマ』の中でも歴史ものといわれるジャンルは嫌いではなく、家事の合間に時間的な余裕がある時にはチャンネルを合わせる事がよくあります。しかし日本の歴史にも疎い私のことですから、当然ですが彼の国の歴史には全くの無知であり、ドラマの登場人物の地位や立場・職業の違いがよく解らずに物語の進行や展開が理解出来ないことがあります。

そこで、同様の歴史ものドラマが大好きな友人からのリクエストの後押しもあって、ようやく重い腰を上げて朝鮮王朝の身分や階級制度について調べてみましたので、同様のドラマ愛好家の皆さまの参考になればと思い、Kijidasu!上でご紹介してみます‥‥。

※本記事は、主に李氏朝鮮(이씨조선、1392年から1910年にかけて朝鮮半島に存在した王国)時代の身分制度や行政組織などについてを扱っています。それ以前の高麗王朝やそれ以降の大韓帝国などの国家におけるものについては含まれていないことを、ご了承ください。

※特定の用語の発音・読み方やハングル表記については、調べのつかないものは割愛しました。

本記事の主な内容については以下の通りです。

・両班(ヤンバン)や賎人(チョンイン)などの身分・階級制度に関しては 1p.~2p.
・爵位と正一品から従九品までの品階制度に関しては 3p.以降
・世子(セジャ)や大君(テグン)などの王族(男性)の品階に関しては 4p.
・中殿(チュンジョン)や大妃(テビ)や女性の品階に関しては 4p.~5p.
・尚宮(サングン)や至密(チミル)などの女官の品階に関しては 6p.

関連記事 ⇒ 李氏朝鮮(李朝)の国家体制(前) ~基本的な政治(司法・立法・行政)体制の枠組みやその官制について~ 〈2408JKI27〉

 

身分・階級制度

李氏朝鮮(以下、李朝)の身分・階級制度は、大きくは良民(両班・中人・常人)と賤民(奴婢・白丁)に分けられています。そして良民の中でも最上級の階層が両班と言われ、彼らが科挙(クァゴ:과거、官僚登用の為の試験で中国のものを模倣した制度)によって登用される文武の高い官職や儒教の学者を親族の中から出した一族のことです。

続いて中人ですが、低い官職の役人や医官、技術者などの家系を指します。彼らは科挙の受験資格を持ち、金銭的に余裕があれば郷校(各地方の文廟=孔子を祀る廟とそれに付属した学校・教育機関)に通うことも出来ました。

次いで常民は、一般的な通常の庶民のことで、農業・工業・商業などに携わる者たちです。但し彼らは原則として勉学の道を歩むことは禁止されており、科挙の受験資格も有していません。

最後に賤民についてですが、この階層は奴婢(使用人)、倡優(芸人)、僧侶、巫女などのことで、更に白丁は動物の屠殺等に従事する者などを指し、最下層の民とされました。

この時期の身分制度は、ひとつ前の高麗王朝の時から伝わる社会的な伝統の上に築かれたもので、李朝の集権的な政治体制の確立及び政治・行政制度の整備とともに次第に固まっていきました。

即ち、李朝の新興貴族たちは高麗の貴族の代わりに支配者層へと成長しながら両班階級を形成しますが、一方、それに属せなかった旧来の支配者階級の人々は準支配者層である中人階級として残存していきました。その下の常人や更に下層に位置する賎人階層の存在に対し、これらと両班の間において一定の世襲的な職業を持つことで一つの階層の中に固定化された中人という特殊な身分階級が生じていったのです。また儒教を尊び仏教を弾圧していた李朝では、僧侶は常人より低い地位に置かれていました。

 

【両班(ヤンバン:양반)

国の支配階級である両班とは、文班(ムンバン:문반 – 東班:トンバン:동반 ともいう)と武班(ムバン:무반 – 西班:ソバン:서반ともいう)の二つを合わせた階級の総称です。元々は、科挙に合格した東班文官のグループ)と西班武官のグループ)を合わせたもの、という意味でした。

但し、当時の李朝においては国家を支配する上での根本理念を儒教の教えに求めた為、武より文が重んじられていました。つまり文官の方が何事においても上位と見做されていたのです。また文官を目指す者には身分的な制限(後述)がありましたが、武官の試験には建前上は賎人階層でなければ誰でも応募する資格が与えられていたともされ、文高武低の風潮は際立っていました。

そして両班たちは勤労を蔑んでいましたから、体を動かして汗を流すことを忌み嫌ったともされ、日頃から武班においても武官・戦士としての訓練や鍛錬などは全くされておらず、この為に名ばかりの軍隊しか持たない李朝の軍事力は極めて脆弱であったとの指摘もあります。

既に述べた様に、李朝が成立して旧王朝の高麗から政権が交代する過程で、必然的に高麗の旧貴族から李氏朝鮮創業の功臣へと支配層が移り、また行政機構が整備されて高級官僚が新たに任命されていきました。これらの者たちの子孫が世代を経て、両班としての階層を形成していきました。

李朝ではごく初期の頃を除き、科挙による官吏登用が身分を確定する大きな要素となりましたが、非常に重要な点は科挙に合格し高級官僚に任官した本人だけではなくその家族もまた両班階級となったことですが、その目安としては、父・祖父・曽祖父、並びに母方の祖父の中で科挙の合格者で五品以上の官職に就いた者がいれば、その子孫は両班となりました。

そして科挙に受かり官僚となれば、所領や禄俸などを国家から支給されて自然と地主階級を形成したのです。また科挙試験を受験する為には多額の費用が掛かったとされ、現実的にはもともと裕福な両班の子息しか試験を受けられずに、中人以下の階層の人が試験を受けて合格し官史となることは極めて困難でした。

ところでドラマや映画などを観ると、両班階級に属する人々は彩きれいな韓服を着ていますが、実際の当時の染色技術は限定されており、庶民はもちろんのこと、両班などの特権階級の人たちも普段は白い服をもっぱら着用していたようです。但し、この様に多くの人々の服が白くなったのは李朝以降で顕著となり、その理由は染料や染色技術の有無によるのではなく、実は儒教思想の影響であるとされています。

尚、当時の上層階級の人々が頭に被っている帽子の様なものは冠(カッ)と言い、当人の身分を表していて馬の尾で編まれていました。またその身分の上下によって大きさ等が異なり、人前で脱ぐことは大変失礼とされていて、決して室内でも脱ぐことはありませんでした。

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