ところで通常の職務に従事する女官は、王や世子の側室よりも品階が下の位であり、こうした女官の最高位は尚宮(サングン:상궁)と呼ばれ、彼女らは正五品より上の品階には昇れませんでした。また尚宮らは、内人(ナイン、尚宮などよりは下位だが一人前の女官の名称)などの階級の人々からは“媽媽任(마마님、ママニム)”と呼ばれていました。
尚、彼女らは唐衣と呼ばれる裾の長い緑色のチョゴリを着て、常に裾の中で手を組んでいるのが正しい礼儀とされていました。ちなみに、王の寵愛を受けたが(王と同寝した女官が)側室(従四品以上)とはならなかった場合は、その女官は承恩尚宮(スンウンサングン:승은상궁))として正五品となりました。特別尚宮(トゥクピョルサングン:특별상궁)とも言います。
女官の名称と品階は以下の通りで、同じ品階では左側に記載された者が上位者となります。
■正五品の女官:尚宮(サングン:상궁)・尚儀(サンイ:상의)
■従五品の女官:尚服(サンボク:상복)・尚食(サンシク:상식)
■正六品の女官:尚寝(サンチム:상침)・尚功(サンゴン:상공)
■従六品の女官:尚正(サンジョン:상정)・尚記(サンギ:상기)
■正七品の女官:典賓(チョンビン:전빈)・典衣(チョニ:전의)・典膳(チョンソン:전선)
■従七品の女官:典設(チョンソル:전설)・典製(チョンジェ:전제)・典言(チョノン:전언)
■正八品の女官:典賛(チョンチャン:전찬)・典飾(チョンシク:전식)・典薬(チョニャク:전약)
■従八品の女官:典燈(チョンドゥン:전등)・典彩(チョンチェ:전채)・典正(チョンジョン:전정)
■正九品の女官:奏宮(チュグン:주궁)・奏商(チュサン:주상)・奏角(チュガク:주각)
■従九品の女官:奏変徴(チュビョンチ:주변치)・奏徴(チュチ:주치)・奏羽(チュウ:주우)・奏変宮(チュビョングン:주변궁)
同じく内命婦の世子宮には、以下の女官がいました。
■従五品の女官:昭訓 但しこの昭訓は側室扱いで、通常の仕事は無かった様です。
■従六品の女官:守則
■正七品の女官:掌饌・掌正
■従八品の女官:掌書
■従九品の女官:掌蔵・掌食・掌医
これらの女官は、下記の様な所属に分けられていました。
■至密(チミル:지밀)とは、王や王妃・側室の寝室などに侍して、日常生活の世話を行う部署。
■針房(チムパン:침방)とは、王・王妃などの衣装や寝具等の仕立て・縫製、針仕事を受け持つ部署のこと。
■繍房(スパン:수방)とは、王宮内の刺繍品の縫い取り・製作を行う部署。
■洗手間(세수간)とは、洗濯や洗面・手洗いの手伝いなどの部署。
■生果房(생과방)とは、果物、茶菓子などの軽食の調理・準備・給仕などを行う部署。
■内焼厨房(내소주방)とは、王族の食事の調理・準備・給仕などを担当する部署。
■外焼厨房(외소주방)とは、王宮の宴会などの食事の調理・準備・給仕などを行う部署。
■洗踏房(세답방)とは、掃除・洗濯、染色などの雑務を担当する部署のことです。
ちなみに尚宮は、属している房の名称と併せて呼ばれました。例えば、至密に属した王などの世話をする尚宮の呼称は至密尚宮(チミルサングン:지밀상궁)となります。
更に、下記の様な女官としての官職がありました。
■提調尚宮(チェジョサングン:제조상궁)は、女官長のことです。
■副提調尚宮(プジェジョサングン:부제조상궁)は、副女官長のことです。
■監察尚宮(감찰상궁)は、女官の言動を監察、勤務評定を下す役目です。
■待令尚宮(テリョンサングン:대령상궁)は、至密尚宮の一つで、常に王の左右に侍している役目です。
■侍女尚宮(시녀상궁)は、至密尚宮の一つで、書籍の管理や朗読と筆写などを行う役目です。
■保姆尚宮(보모상궁)は、王子、王女の教育に当たる保姆内人を監督する役目です。
■気味尚宮(キミサングン:기미상궁)は、毒見役の尚宮。当然ながら、王より先に料理に手を付けることが出来る唯一の人でした。
■大殿尚宮(テジョンサングン:대전상궁)は、王の夜伽の相手を選定する尚宮です。
■本房尚宮(본방상궁)は、王妃や世子嬪が実家から連れて来た女官。通常は、王妃と世子嬪の腹心の部下でした。
一般的に、至密に属した女官は入宮後25年、それ以外の房に属した女官は35年程度が経つと尚宮に昇格することが可能でした。
また彼女らも、身分・立場によって服や髪飾り(リボン)の色や刺繍が異なりました。見習い女官(センガッシ:생각시)の時は、チョゴリがピンク、チマが青となっています。宮廷で15年以上働いて内人(ナイン)になると、赤色のチョゴリに藍色のチマになります。更に10年から20年以上勤めて尚宮となると薄緑色のチョゴリに藍色のチマになります。提調尚宮(チェジョサングン:제조상궁)等の官職を持つ尚宮や前述の承恩尚宮(スンウンサングン:승은상궁))などは深緑色のチョゴリと青色のチマを身に付けたとされます。
尚、見習い女官の呼名である“センガッシ”の“セン”は、絲陽髪(センモリ:생머리)と呼ばれる李氏朝鮮時代のヘアスタイル(左右両耳の下で二股に分けて結った髪。史料によっては、とかしたストレートヘアとの記述も)を意味し、この“センモリ”を許された見習い女官は至密・針房・繍房などの王や王妃に近侍する部署(房)に所属する者だけに限られたとされます。その為、内焼厨房などの見習い女官は、ただの“ガッシ”と言われました。また“センガッシ”らは幼・年少(4歳・5歳~16歳・17歳くらい)ながら王や王妃の傍近くに使える為、下層の下女(ムスリ、婢子・奴婢)からは当然としても、尚宮以下の筓礼(ケレ:계례)が済んだ(成人した)大人の女官からも一定の敬意をもって(見習い女官の中でも位が高く)処遇されたと伝わります。
※男性に成人の儀式は、冠礼(クァンレ:관례)と云います。
-終-
関連記事 ⇒ 李氏朝鮮(李朝)の国家体制(前) ~基本的な政治(司法・立法・行政)体制の枠組みやその官制について~ 〈2408JKI27〉
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