また同時期、ガダルカナル島攻略増援部隊の輸送援護・支援及び合わせて敵空母機動部隊の撃滅を目的として、第二艦隊を基幹とした「前進部隊」(近藤信竹中将指揮、戦艦『陸奥』と重巡5隻を主力)と第三艦隊基幹の所謂「南雲機動部隊」(南雲忠一中将指揮、第1航空戦隊の空母『翔鶴』、『瑞鶴』に小型空母『龍驤』を加えた編成)がトラック泊地に進出した。
24日未明、南雲機動部隊は空母『龍驤』、重巡『利根』、第十六駆逐隊の駆逐艦『時津風』、『天津風』を分遣して、陸軍の逆上陸予定日(25日)を前にガ島のヘンダーソン飛行場攻撃に派遣した。
しかしこの部隊はある意味、囮でもあり、米空母機動部隊を誘き寄せては米軍艦載機が『龍驤』を攻撃している隙に、『翔鶴』、『瑞鶴』などの空母航空隊が敵機動部隊を捕捉、撃滅せんとする作戦であった。
同日、空母『龍驤』はヘンダーソン飛行場の攻撃に向けて艦載機を発進(第1次攻撃隊が10時20分、第2次攻撃隊が10時48分)させたが、米空母『サラトガ』の艦載機の来襲(13時57分)を受けて同日18時頃に沈没する。また、米側の第2次攻撃隊により水上機母艦『千歳』が小破した。
一方、日本側機動部隊主隊の攻撃では、第1次攻撃隊(12時55分発進)の『翔鶴』隊が米空母『エンタープライズ』に爆弾3発を当てた(直ちに応急修理を終えて艦載機を収容するが、本格修理が完了するのは同年10月中旬となる)が、『瑞鶴』隊は『サラトガ』を無傷で取り逃がしてしまう。また第2次攻撃隊(14時発進)は、敵空母機動部隊を発見出来ずに帰投した。(「第二次ソロモン海戦」)
それとは別に、24日深夜から25日朝にかけて、安武史郎大佐率いる第30駆逐隊の駆逐艦『睦月』、『弥生』、『江風』、『磯風』、『陽炎』の5隻はガ島ルンガ泊地に突入、ヘンダーソン飛行場に対し艦砲射撃を実施したが、特に効果はなかったとされる。その後、この部隊は北上してガ島増援部隊(第二梯団)の輸送船団に合流した。
同じ24日から25日にかけて、『鳥海』、『衣笠』に『古鷹』・『青葉』を加えた重巡4隻は、搭載水上偵察機(『鳥海』発は3機、但し内1機は軽巡『由良』所属機)を発進させて、ガダルカナル島の夜間爆撃を目指したが効果は無かった。
更に25日朝には、ヘンダーソン基地から飛来した急降下爆撃機SBDドーントレスとエスピリトゥサント島基地のB-17重爆撃機の空襲により、二水戦の軽巡『神通』が中破、輸送船『金龍丸』と『金龍丸』を救援中の駆逐艦『睦月』が沈没し、ガ島増援部隊を載せた船団と護衛部隊は北西方面へと退避した。
またガダルカナル島近海で行動中の駆逐艦『卯月』も損傷を受けた。こうして第二次ソロモン海戦は小型空母1隻・駆逐艦1隻・輸送船1隻を喪失した上に増援部隊(第二梯団)を運ぶ輸送船団も目的地にたどり着けずに引き返した事で日本軍側の敗北で終わり、8月26日午後3時、『鳥海』は『衣笠』と共にラバウルに帰港した。
その後、連合軍の在ガ島航空機数は増大し、飛行場の拡張も行われて9月25日にはB-17重爆撃機の離発着も可能となった。日本軍はこうした連合軍の航空戦力の充実を鑑み、低速の輸送船での地上部隊揚陸は不可能と判断、駆逐艦等を利用した所謂「鼠輸送」を繰り返し実施、9月7日夜には増援の川口支隊(歩兵第35旅団司令部及び歩兵第124連隊基幹、川口清健少将指揮)並びに一木支隊の残存部隊の上陸が完了したが、川口支隊主力は同月12日夕方から開始したヘンダーソン飛行場・基地への攻撃に失敗、大損害を出してしまう。
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