【太平洋戦争】 優駿 日本海軍 巡洋艦物語!! 第1回 重巡洋艦 『鳥海』 -後編-  〈3JKI00〉

続いて行われた「南太平洋海戦」(10月26日)においては、『鳥海』を除く『高雄』型の姉妹艦全てが第二艦隊基幹の前進部隊に属して行動したが、『鳥海』はこの戦闘には参加していない。

この海戦で日本海軍は、空母『翔鶴』(大破)と『瑞鳳』(中破)、重巡『筑摩』(大破)が損傷したが、米海軍側は、空母『ホーネット』と駆逐艦『ポーター』が失われ、空母『エンタープライズ』(中破)や戦艦『サウスダコタ』(小破)その他多数が損傷を受けた。この結果、艦艇の損害状況のみで判断すれば、日本側(日本海軍空母機動部隊最後)の勝利と考えられるが、熟練搭乗員の多くが戦死(米側16名に対し日本側145名との史料あり)しており、ミッドウェーで躓いた日本海軍の無敵空母航空隊の完全なる終焉の始まりであった。

ちなみに、この海戦でも消極的な指揮に終始した第三艦隊司令長官の南雲忠一中将(後にサイパン島で自決、死後に大将)に比べて、途中から指揮を引き継いだ第二航空戦隊(空母『隼鷹』)の角田覚治司令官(少将、最終階級は中将)の猛将ぶりが際立つ。

 

次いで昭和17年(1942年)11月13日から15日にかけての、「第三次ソロモン海戦」がガダルカナル島の北方海域で発生し、この時『鳥海』は空襲により損害を受けることになる。

遡ること11月8日には正式にガダルカナル島の在陸軍部隊を救援する為に、歩兵第三十八師団主力を運ぶ船団輸送の命令が発せられた。更にこの陸軍の上陸を援護する為に、再度、戦艦等による米軍飛行場への艦砲射撃も計画された。

一方、暗号解読や無線傍受により日本軍の動向を察知していた米海軍は、11月11日、空母『エンタープライズ』(「南太平洋海戦」での損傷を応急修理の後に、修理要員を載せたまま航行)、重巡洋艦『ノーザンプトン』並びに軽巡『サンディエゴ』、及び駆逐艦8隻(6隻とも)をもって空母機動部隊である第16任務部隊(トーマス・C・キンケイド少将指揮)を再編し、また同日、新鋭のノースカロライナ級戦艦『ワシントン』とサウスダコタ級戦艦『サウスダコタ』も連れ立って日本軍迎撃の為にダンビア湾を出港した。

またダニエル・キャラハン少将指揮の重巡『サンフランシスコ』、『ペンサコラ』、『ポートランド』、軽巡『ヘレナ』と『ジュノー』、そして駆逐艦10隻から成る第67任務部隊第4群(以下、第67.4任務部隊)は海兵隊増援部隊を運ぶ船団を護衛、ノーマン・スコット少将が率いる軽巡『アトランタ』及び駆逐艦4隻で編成された第62任務部隊第4群(以下、第62.4任務部隊)は同じく航空隊増援部隊を護送する任務を命じられてガ島周辺に来着しようとしていた。

11月12日03時、日本艦隊は戦艦『比叡』を旗艦とする挺身艦隊/ガダルカナル島砲撃部隊(阿部弘毅中将指揮)と、第三戦隊(栗田健男中将指揮、戦艦『金剛』、『榛名』、駆逐艦『白雪』、『初雪』)と第二航空戦隊の空母『隼鷹』を含む支援艦隊(前進部隊主隊)の二隊に分かれて進んだ。

尚、挺身艦隊の内訳は、本隊/第十一戦隊(戦艦『比叡』、『霧島』)、直衛隊/第十戦隊(第十戦隊旗艦の軽巡『長良』、第一六駆逐隊の駆逐艦『雪風』、『天津風』、第六駆逐隊の『暁』、『雷』、『電』、第六一駆逐隊の駆逐艦『照月』)、警戒隊/第四水雷戦隊(四水戦の旗艦である駆逐艦『朝雲』と第二駆逐隊の駆逐艦『村雨』、『五月雨』、『夕立』、『春雨』)、そしてガダルカナル島/ラッセル岬警戒隊(四水戦の第二七駆逐隊所属の駆逐艦『時雨』、『白露』、『夕暮』)である。

また同日15時30分、田中頼三少将率いる第二水雷戦隊が護衛する輸送船団はショートランド泊地を出港し、ガダルカナル島へと向かった。この時、陸軍歩兵第三十八師団は、高速の輸送船11隻に分乗し翌13日をガ島への上陸予定日としていた。

そしてその頃、日本軍より先にガダルカナル島に到達した米軍の輸送船団は、ガ島へ増強兵力や補給物資の揚陸を開始、第67.4任務部隊と第62.4任務部隊は周辺海域で警戒に当たっていた。

12日22時40分、挺身艦隊は当初の予定よりも約40分ほど遅れてガダルカナル島海域に突入したが、その少し前の時点で、日本軍挺身艦隊の動きを探知した米軍は、急遽、ダニエル・キャラハン少将に指揮下の第67.4任務部隊にスコット少将の第62.4任務部隊を併せて日本艦隊の迎撃を命じた。

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手前から『金剛』、『榛名』、『霧島』、『比叡』の4戦艦 (1942年4月、セイロン沖にて撮影)

13日未明の日本軍挺身艦隊/ヘンダーソン飛行場砲撃部隊と米軍第67.4任務部隊及び第62.4任務部隊合同艦隊との間で行われた第三次ソロモン海戦の第一夜戦(詳細は省略)では、日本軍挺身艦隊は駆逐艦『夕立』と『暁』を喪失し、更に同じ日の昼間空襲で、同日未明に米艦隊の集中攻撃を受けサボ島周辺にて操舵不能状態となっていた戦艦『比叡』が沈没(太平洋戦争における日本軍初の喪失戦艦)、駆逐艦『雪風』等が損傷した上に戦艦『霧島』によるヘンダーソン飛行場砲撃も実施出来なかった。

対する米軍側は、指揮官のキャラハン少将と次席指揮官のスコット少将が戦死し、損害を受けて退避中の軽巡『ジュノー』は同日午前中(11時頃)に潜水艦、伊-26(艦長、横田稔中佐)の雷撃により沈没、軽巡『アトランタ』は13日夜に自沈した。また、駆逐艦『カッシング』、『モンセン』、『ラフィー』、『バートン』が沈没した。生き残った重巡『サンフランシスコ』、『ポートランド』は大破、軽巡『ヘレナ』が小破、駆逐艦『アーロン・ワード』が大破、『ステレット』は中破、『オバノン』は小破となった。

この戦闘(「第三次ソロモン海戦・第一夜戦」)は、後にその「混乱の激しさは、海戦史上にその例を見ないもの」と米海軍のチェスター・ニミッツ太平洋艦隊司令長官が評する夜間水上戦闘になった。

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