【太平洋戦争】 優駿 日本海軍 巡洋艦物語!! 第1回 重巡洋艦 『鳥海』 -後編-  〈3JKI00〉

さて日本軍は、米軍のニュージョージア島攻撃に対抗してコロンバンガラ島に駐屯していた第十三連隊を転用する事とし、その転用に伴うコロンバンガラ島への補充兵力の輸送を開始した。

こうした状況下で、7月4日から7月5日にかけて日本軍によるコロンバンガラ島への増援部隊の輸送が行われた。

7月5日深夜、第三水雷戦隊司令官の秋山輝男少将が指揮する支援隊(旗艦『新月』、『涼風』、『谷風』)・第一次輸送隊(『望月』、『三日月』、『浜風』)・第二次輸送隊(『天霧』、『初雪』、『長月』、『皐月』)はコロンバンガラ島輸送作戦に従事中、米軍巡洋艦3隻・駆逐艦4隻と交戦した。ちなみに三水戦は当初、この際の旗艦には軽巡の『夕張』を用いる予定であったが、触雷により損傷、旗艦は駆逐艦の『新月』となったという。

この時の戦闘で『新月』、『長月』と米軽巡『ヘレナ』が沈没し、『天霧』、『初雪』、『谷風』が中破。『涼風』、『望月』が小破であった。更に『新月』と共に秋山司令官以下の第三水雷戦隊司令部は全滅した(「クラ湾夜戦」)。

そこで三水戦の後任司令官着任までの間、この時の『鳥海』艦長の有賀幸作大佐(第4駆逐隊司令として既出、「菊水1号作戦」に呼応した沖縄特攻時の『大和』艦長で戦死後に中将)が増援部隊の臨時指揮官となった。

また連合艦隊司令部は、第二水雷戦隊(司令官、伊崎俊二少将)と、その旗艦『神通』と駆逐艦『清波』、および第七戦隊(西村祥治少将指揮)をラバウル方面に進出させて南東方面艦隊に編入する。

 

7月9日17時、第八艦隊/外南洋部隊指揮官の鮫島中将は主隊(『鳥海』、『川内』)、警戒隊(『雪風』、『夕暮』、『谷風』、『浜風』)、輸送隊(『皐月』、『三日月』、『松風』、『夕凪』)を率いてブインを出撃した。コロンバンガラ島沖へ進出した主隊と警戒隊は、ニュージョージア島の米軍に対して艦砲射撃を行った後に敵艦隊を捜索するが米艦隊は出現せず、陸兵1,200名と軍需物資の輸送作戦を成功させる。そして10日には三隊ともブインに帰投した。

同月10日、秋山少将の後任として伊集院松治大佐(11月1日に少将進級、翌年戦死後に中将)が第三水雷戦隊司令官として着任し、7月11日には重巡『鈴谷』、『熊野』もラバウルへ到着するが、 新司令部の準備が整うまでの間、第二水雷戦隊司令官伊崎俊二少将が臨時に増援部隊指揮官となった。

翌11日には、ラバウルには『鳥海』、『川内』、『三日月』、『夕凪』、『雪風』、『浜風』、『谷風』、『夕暮』が停泊し、戦力が補充・整備されつつあった。

12日、伊崎少将率いる警戒隊(軽巡『神通』と駆逐艦『清波』、『雪風』、『浜風』、『夕暮』、『三日月』)と輸送隊(『皐月』、『水無月』、『夕凪』、『松風』)はラバウルを出撃、ブカ島を経てクラ湾に接近する。翌13日22時57分、『雪風』の電波探知機(海軍では「逆探」という)が米艦隊を探知、警戒隊は30ノットに増速して『三日月』、『神通』、『雪風』、『浜風』、『清波』、『夕暮』という順に単縦陣で進んだ。対する連合軍艦隊は、ウォルデン・L・エインズワース少将を指揮官とする第36.1任務部隊の軽巡3隻・駆逐艦10隻で、日本艦隊よりはるかに優勢であった。

両艦隊は反航する形で接近、先陣をきった『神通』は探照灯を敵艦隊に照射して雷砲撃を開始し奮戦するが、逆に激しく集中砲火を浴びてしまう。『神通』の活躍により余裕の出来た他の日本軍の駆逐艦は(次発装填で)二度にわたり雷撃を放ったが、これを受けて第36.1任務部隊は大混乱に陥る。

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昭和17年、第二水雷戦隊旗艦当時の『神通』

この夜戦の結果は、連合軍側は駆逐艦『グウィン』が沈没、軽巡洋艦『ホノルル』、『セントルイス』並びにニュージランド海軍の軽巡『リアンダー』が大破し、その他の駆逐艦2隻も大破損傷。日本側は『神通』が沈没し、伊崎司令官以下の第二水雷戦隊司令部は全滅した(「コロンバンガラ島沖海戦」)。だが他の日本軍駆逐艦は『神通』の犠牲の下、ブインへと帰り着く。

また輸送隊は、海戦の間隙を縫って13日0時36分にコロンバンガラ島アリエル入江に到達する。そして輸送物資全ての揚陸に成功した後、01時43分にコロンバンガラ島から離脱、11時40分にはブインへと帰投した。

尚、この時の『神通』の敢闘ぶりは後に戦史研究家のサミュエル・E・モリソンから「『神通』こそ太平洋戦争中、最も激しく戦った日本軍艦である」と賞賛された。

 

第七戦隊基幹の西村部隊は『鳥海』などと共に17日(16日夜半との史料あり)にブインへ向けてラバウルを出撃していたものの、ブインへの大規模な空襲(駆逐艦『初雪』が沈没、『皐月』、『水無月』他が損傷)の報を受けて一旦帰還する。

翌18日22時、再び西村部隊の主隊(旗艦『熊野』、『鈴谷』及び『鳥海』)と第三水雷戦隊の軽巡『川内』、駆逐艦4隻(『雪風』、『浜風』、『清波』、『夕暮』)はラバウルを出撃、翌19日17時20分には輸送隊(駆逐艦『三日月』、『水無月』、『松風』)と合流し、その後、主隊と三水戦はクラ湾北方で敵艦隊を捜索するも遭遇せずに反転(23時頃)し、21時頃に分離した輸送隊は23時40分にコロンバンガラ島の泊地に到着して翌20日0時35分までに揚陸作業を終えた。

だが西村部隊の行動はPBYカタリナ飛行艇によって捉えられていた。このカタリナは「ブラック・キャット」と呼ばれる夜間哨戒機であり、レーダーで西村部隊を捕捉するとガダルカナル島へ通報する。

この情報により、米軍機が帰投を急ぐ西村部隊(第七戦隊・第三水雷戦隊)を夜間空襲する。先頭を航行していた駆逐艦『夕暮』が初回の攻撃で轟沈し、次いで重巡『熊野』にも魚雷が命中して舵故障等の被害を与えた。駆逐艦『清波』は『夕暮』の救援のため反転するも、02時30分以降は消息が途絶え、『夕暮』と『清波』の総員が戦死となった。また輸送隊の『水無月』と『松風』も至近弾を受けて損傷した。

『鳥海』も雷撃されるが幸いにも被害は無かった。その後、残存艦艇は20日17時30分にはラバウルに帰投し、かろうじて輸送作戦は成功した。

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