【歴史雑学】 日本人は何故、神社で拍手を打つのか? 〈2408JKI54〉

また二名の拍手を決めごとに合わせて打つ「合拍手(あわせはくしゅ、あいのはくしゅ)」や多人数が一斉に手を打つ「連拍手」、神葬祭(しんそうさい、神道の葬儀)において音を鳴らさずに打つ「偲手・忍手・短手(しのびて)」や、直会(なおらい)で酒盃を受ける時に一回打つ「礼手(らいしゅ)」等の様々な種類があり、その場に応じて使い分ける必要がある。

※合拍手は、幣帛物が神前に供えられたということを確認するための合図。例えば、勅使が奏上した御祭文を宮司が受けて御神前に納める際に、勅使と宮司が会わせて拍手をする場合などに行われるが、これは双方において授受の確認を表す作法であるとされている。

※直会とは、神社等における神事などの行事の最後に、参加者一同で共に神酒をいただき神饌を食する行事のことである。ちなみに神棚(しんせん)とは、神社や神棚に供える供物の総称のことで、御饌(みけ)あるいは御贄(みにえ)とも呼ばれる。

 

尚、拍手の打ち方には、両手を合わせる際に指先まできちんと揃えて合わせる方法と、意識的に指先をずらす場合がある。そしてずらすやり方も、途中からずらしていく場合と、最初から最後までずらしたままのやり方があるが、その理由は、音の鳴りを良くするという説や不浄の手と合わせない様にする為とか、単に宗派・教派の教えの違いとする説もある。

また、左手の指股付近に右手指先を当てる様に打つと大きくて良い音が鳴るとされるが、必要以上に大きな音をたてる事は慎みを欠き、はしたない事とされる場合もあるから注意が必要だ。

 

さて、こうして私たちは神社等に参った時、手を打って拝礼するのが一般的だが、これは古来よりの日本独自の拝礼作法として、神様だけではなく貴人・目上の人を敬い拝むときにも用いられてきた。

中国の歴史書である『魏志倭人伝』(3世紀末の中国の歴史書で、『三国志』中の「魏書/第三十巻 烏丸鮮卑東夷伝 倭人条」の略称であり、その当時の日本列島に関する地誌や居住していた民族である倭人(日本人)の習俗などが描かれている書物)の記述には、「見大人所敬 但搏手以當脆拝(大人の敬するところをみると、ただ手を打って跪拝のかわりにする)」と記され、古(いにしえ)の倭人が貴人・尊い人に会った際に相手に敬意を示す際には、「拍手を打ち、蹲(うずくま)って拝む」との文章がある。

『日本書紀』においても、第41代天皇である持統天皇の即位の際に、公卿(朝廷に仕える三位以上の高官貴族)や百寮(多くの役人のこと)たちが列をなして歓喜し拍手・喝采している様子が記されていると云う。但しこの時の拍手は、喜びや賞賛を表す現在の拍手に近いものであるとも考えられる。

こうして当時の倭人の風習では、貴人に対して手を打って敬意を表していたとされ、(神様など以外の現世の人にも)拍手を行った様である。つまり、現代の握手と同じく、我国の古代人は偉い人に会う際にも「拍手(かしわで)」を打っていたらしいのだ。

そして朝廷の儀式や賜物を受けとる場合、また民間の儀式などの際にも柏手を打つことがあったとされており、こうして古代では、神様や現世の人を問わずに貴いものに拍手を打つ習慣があったのが、やがて生身の人間に対しては行われなくなり、現在に至り神様に拝する際に行われる作法としての拍手だけが残ったことになるが、意外なことに、拍手という行為が神様への拝礼作法に取り入れられたのは我国だけだそうだ。

また拍手には、「和合」(人が互いに仲よくなり、親しみ合うこと)の意味もあるとされている。それは、片手だけをいくら勢いよく振り廻しても音を鳴らすことは出来ず、音を鳴らす為には必ず両の手が必要である事から、柏手を打つことは和合の証であるとされているのだ。

更には、古代人は挨拶をする際に「拍手」を打つことで、掌中に武器を持っていないこと、即ち敵意の無いことを示して相手への敬意を表したという説もあり、この点では西洋の「握手」と同様の行為と考えられる。

 

最後に、「拍手」の呼称・表記の直接的な由来は、一説には古代では「柏」の葉を食器として用いたことから食事のことを「かしわ」と呼び、朝廷の食膳を調理する料理人を「膳夫(かしわで)」と言い、またその膳夫が手を打ちながら神饌を供したこと(饗膳に手を打つ「礼手」の作法もあった)に由来するともされている。

※はるか古代には、食事という行為それ自体が神様を祭る神事だったと考える説もある。

他には、「柏」を「拍」と見誤った末に、混同されて用いられていた内に「拍」が定着したとする説や、また合わせて打ち鳴らす時の掌の形を、単純に柏の葉に見立てたとする説などもある。

そして本来は「はくしゅ」が正式な呼称であるが、これが「かしわで」と呼ばれる様になったのは表記の「柏」が「拍」へと変化するのと同様に、いつしか呼び方も変わって行ったのだろうと推測されている。

-終-

 

 

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