ネットで軍事関係のニュースを観ていたら、旧日本海軍の戦闘機『紫電改』の実物大レプリカの制作を、同機の組み立て工場(川西航空機の姫路製作所鶉野工場)があった兵庫県加西市と市民団体が目指すと発表していた。
同機をつくった元技術者や戦争遺跡の保全を進める団体のメンバーが中心となって制作プロジェクトチームを結成するという。加西市も制作費の一部を負担する予定で、戦争史料を展示する施設での公開を計画しているそうだ。
そこでこの機会に日本海軍最後の名機と謳われた局地戦闘機『紫電改』について、改めて調べてみたので、その内容をご紹介しようと思う・・・。
川西航空機(かわにしこうくうき)は、かつてあった我国の航空機メーカーであり、現在の新明和工業の前身である。94式水上偵察機や97式飛行艇、そして傑作機の誉高い2式飛行艇(通称は『二式大艇』)などの海軍軍用機を多数製造したが、特に水上機と飛行艇に定評を持つメーカーであった。
その川西が、昭和17年(1942年)7月、兵庫県加西郡九会村/下里村(現・加西市)に海軍戦闘機『紫電』とその改造型『紫電改』を生産する目的で工場を設立、昭和19年(1944年)8月から稼働を開始したが、これが冒頭で触れた加西市に所在していた航空機工場である。
また現状、『紫電改』は3機(いずれも元接収機)が米国で保存・展示されている。スミソニアン博物館の「国立航空宇宙博物館」所有の機体(紫電21型甲・NIK2-Ja、尾翼に343-A-35とのペイントあり、5341号機)やペンサコーラ米海軍航空基地内の「国立海軍航空博物館」で展示されているもの(紫電21型、5128号機)、そしてライト・パターソン空軍基地にある「国立アメリカ空軍博物館」に展示されている『紫電改』(紫電21型、5312号機)がそれで、皆、レストアされていて保存状態は良い。
日本国内では国内唯一の現存機が、南予レクリエーション馬瀬山公園内の「紫電改展示館」(愛媛県南宇和郡愛南町)で保存・展示されている。だが、1978年に愛媛県南宇和郡城辺町(現在の愛媛県南宇和郡愛南町)の久良湾海底から引き上げられたこの機体は、引き上げ時の原形を保つ程度の簡単な補修と塗装を施した程度である為、プロペラが折れ曲がった状態のままなどであり、完全な姿には程遠い。
ちなみに同機は、第343海軍航空隊(司令は源田実大佐で“剣”部隊とも呼ばれていたが、以下では省略して343空と呼称)所属の戦闘701飛行隊(維新隊)の隊長であった鴛淵孝大尉(戦死により少佐)と共に出撃後に未帰還となった6機の『紫電改』の内の1機の可能性がある。また、343空戦闘301飛行隊(新選組)隊長の菅野直大尉(最終階級は二階級特進で中佐)の僚機を務めた太平洋戦争における著名な撃墜王の武藤金義少尉(最終階級は中尉)もしくは米田伸也上飛曹の機体かも知れない、とされている。