【江戸時代を学ぶ】 「寺子屋」の実態 第4回(最終回) 〈25JKI00〉

まとめ

江戸期の「寺子屋」教育の特色・特徴を総括するならば、それは道徳に基づく全人格的教育の重要性を認識していた師匠たちによる「段階的養育法に基づく、理論と実践を融合した総合人間教育」とでも云えるであろう。

そして師匠たちは、「三つ心、六つ躾、九つ言葉、文十二、理十五で末決まる」という諺にみられる段階的養育法に基づいて、道徳や処世術・実社会での実践を想定した「寺子」各人の性格や成長段階に相応しい指導・教育を心掛け各々の子供の個性や得手不得手を見抜き、またその子の適材適所を心得て指導に当たり子供の将来に相応しい道を示唆した。

教育の内容においても、「往来物」や著名な古典などを教材とする以外にも諺等もよく登場した。中国の古典から出典を得たものや我国独自の逸話を典拠とした諺など様々なものがあったが、短い言葉の中に物事の本質を捉えたものや正しい考え方や大事な教訓をさりげなく取り込んだ先人の知恵を活かして人間教育の重要な糧としていた。

また「寺子屋」における躾は総じて厳しかったとされる。悪戯をすればそれ相応の罰を受けたし、来客の応接や教場まわりの掃除、道具類の片付け、履物の整理整頓などを弟子たちは順番で担当しながら、一人前の社会人として必要な常識や知恵を身に付けていった。そして厳格な所謂“雷(カミナリ)師匠”ほどその「寺子屋」は繁盛したとされ、我が子を送り出す両親の側からも躾に厳しい師匠が望まれていた。

具体的な「寺子」に対する懲罰にしても線香や棒・竹類を使用する場合もあったが、「謝り役」の老人に頼めば許されたとも伝わる。まさしく師匠たちは、将来ある子供たちを正しく教え導くという信念のもと、時には厳しくもありながら常に優しい眼差しを持って子供たちを見守りつつ「寺子屋」を経営していたのである。

 

さて既に述べた通り、素直で勤勉な国民性は「寺子屋」教育の賜物であった。また当時の日本の識字率は極めて高く、諸外国をはるかに上回っていた。この識字率が高いことは、庶民向けの出版文化が隆盛を極めた事にも繋がっている。そしてこれらを成し遂げたのは、庶民の教育機関たる全国津々浦々に存在した「寺子屋」の果たした役割が大きいのだった。

また江戸時代を通して長年にわたり平和な時期が続き、江戸中期以降からは庶民にも財政的な余裕が生まれて来たという側面も含めて、「読み書き」・「算盤(ソロバン)」くらいは出来て当たり前であるという風潮が広まっていた我国の教育水準は、同時期の諸外国と比べて見ても非常に高いものであった。

更に、この様な江戸後期から幕末にかけての「寺子屋」等での庶民教育の底辺充実が、我国における明治維新の倒幕運動の意義を全国的に広く認知させ、一部の公家や武士階級だけではなく庶民をも含めた組織的な革命運動を実施することに大きく寄与し、加えて、維新後の新たな政策に関しても国民全般に早期に浸透したとされるのである。

即ち、明治維新が成功した理由・背景の一つには、「寺子屋」で学んだ多くの庶民たちに、(識字力などを含む)知識に基づく高い理解力や新たな思想を受け入れる受容能力などが充分に備わっていた事が挙げられるのだ。

 

最期に、江戸期の高い就学率や教育熱の高揚には、本来から我国の国民が持つ向学心や勤勉性などが背景にあったと考えられるが、その就学に関する学費等の負担の軽さも一因であったのではなかろうか…。

子供を就学させたい各家の資力に応じて授業料などに高低差をつけた「寺子屋」制度と、それを支援する地域の有力者による寄付や「講」組織など、経済的に豊かな人や庶民が力を合わせて郷土の教育を支えるシステムがあった。

こういった仕組みにより貧富の差に関係なく希望すれば誰でも「寺子屋」に就学し、(極端な例は除くとしても)多くの子供たちに平等に教育を受けさせることが可能であったのである。つまり当時の社会においては、こと庶民教育に関しては“富の再分配”は多少なりとも機能していたとも考えられるのだ。

この、地域住民の互いの協力が子供たちの教育を支えるという「寺子屋」教育の発想、そんな江戸時代の庶民の意気地と子供たちの将来を想う心根を、現代の私たちも改めて思い起こして教育格差の問題に取り組む必要があるのかも知れないと考えるのだが、果たして読者諸兄は如何思いだろうか…。

-終-

 
【余談-1】
小説現代長編新人賞。第11回目となる2016年の受賞作、泉ゆたか氏の『お師匠さま、整いました!』舞台は享保11年(1726年)の茅ヶ崎。たくさんの教え子に慕われてきた寺子屋で、亡き夫の跡を継ぎ、子供たちに学問を授ける若き女師匠の桃と、寺子屋一の秀才で生意気な性格の女の子・鈴、ある日、「学び直したい」と寺子屋を訪ねてきた10代半ばの娘・春の3人を中心に展開する、活き活きとした人物描写が魅力の時代小説だ。
 
享保11年、茅ヶ崎は大岡越前守の菩堤寺である浄見寺。今は亡き夫の跡を継ぎ、桃は寺子屋で子どもたち相手にお師匠さまをしている。そんなある日、酒匂川の氾濫で両親を亡くした春が寺子屋を訪ねてくる。すでに大人の身でありながら、もう一度算術を学び直したいという。はじめは戸惑う桃だったが、春の朴訥さと一生懸命さに次第に魅せられていく。しかし、寺子屋で一番秀才な生意気娘・鈴が黙っているはずはなく……。寺子屋を舞台に女師匠が大奮闘!

著者の泉ゆたか(いずみ・ゆたか)氏は、1982年神奈川県生まれで早稲田大学を卒業。大学在学中から小説の執筆を始め、現在は塾講師のかたわら、バイク雑誌のライターなどもしている。
 
【余談-2】
西欧教育では幼児は未だ動物的な存在であり、ある意味で調教することにより一人前の人間に育て上げるという思想が主であった。その為、物事を教えるのに体罰が許容されていたが、我国では学ぶことは道徳を知ることであると考え、体罰により子供を矯正する方法の教育観は江戸時代の日本にはなかったのである。つまり「寺子屋」教育では重い体罰は少なく、子供たちが主体的に学ぶ能力を育てることを重視したとされている。それ故、幕末に来日した外国人の多くが日本では子供が鞭打ちされるのを見たことはない、と驚いたと述べている。そこで彼らは日本の子供たちは甘やかされていると思ったが、それでも自国の子供たちよりもきちっと躾けられていて行儀が良いことは認めざるを得なかった…。
 
【予談-3】
本文にて「謝り役」に触れたが、この役割には同輩の級友が代わりに叱られるというパターンがあって、何も悪くない友人が代わりに罰を受ける事を観た本人にとっては、自分が叱られるより断然効き目があったという。
 
【江戸時代を学ぶ】 「寺子屋」の実態 第1回・・・はこちらから

【江戸時代を学ぶ】 「寺子屋」の実態 第2回・・・はこちらから

【江戸時代を学ぶ】 「寺子屋」の実態 第3回・・・はこちらから

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