【三日月ネコの日々是好日記】 最近、気付いた変な事。公の場での「ボク」発言!! 〈1647JKI56〉

最近、テレビを観ていた時に、結構な年齢で既にベテランと呼ばれる俳優さんが、多くの観客が詰めかけたイベントで、自分自身を指して何度も「僕(ボク)」と言っている場面に遭遇しました。別のニュース番組では、なんと政治家の先生が講演会で同様に自らを「ボク」と言っていました。

これは、少し前にある公開討論会に参加した際に、パネラーのひとりの男性(ある大学の準教授)が自分のことや自分が所属する団体のことを、頻繁に「ボク」や「ボクら」と表現していた時に感じた違和感と同じです。

 

公の場では、自分自身を指して「わたくし」(「私」の正訓)と言うのが、本来の礼儀とされています。この用例は男女を問わずであり、「わたくし」が広く他人が集う場での正しい自称・一人称なのです。

天皇陛下をはじめとする皇族方の、公的な場面でのお話(所謂「お言葉」)の中では必ず使われる一人称であり、当然、一般人でもフォーマルな場では「わたくし」か、そうでなくともせめて「わたし」という言葉で自分を指し示すことが、本来の正しい日本語なのです。

かたや「僕(ボク)」は、主に男性が私的な場面で用いる言葉で、本来の字義は男性の召し使いのことであり、女性の場合は「妾(ショウ)」を用います。

古くは『古事記』において、『速須佐之男命(スサノオノミコト)』や『因幡の白兎』などが度々、自分のことを「僕」と表現していますが、これは「あ」または「やつこ」と訓じられる様です。但し、中世前期までは一人称としては使われておらず、中世後期以降に一人称の代名詞として使用されるようになったとの説もあります。

かつては身分の低い者を対象に使用される言葉であり、自分で自分の事を「僕」と呼ぶ場合は強く謙遜の意を込めて使われていました。言い換えれば「僕」は相手に対する敬意のグレードが高い謙譲語でしたが、その後の武士階級での使用を経て江戸時代の後期になると、謙譲性は大幅に低くなっていったとされます。更に明治期以降、書生などが濫用したことで、世間一般の男性に広く用いられる語となりました。

近現代では、小さい男児に対する呼びかけの言葉(二人称)として使われることも多いのですが、使われるシチュエーションでニュアンスが変化する言葉でもあります。

芸能人がインタビュー等に答えている場面でこの言葉を使用するのは、親しさや気さくな感じを視聴者に与えようとしているのだと思いますが、中には何の意図もなく(ある意味で自然に)「ボク」を連発している人を見掛けると、やはり常識が無く、基本的な行儀作法を心得ていない人物だと感じてしまいます。

ただこれは、我国における言葉教育の問題だと考えるべきかも知れません。先日、「日本人におけるディベード力(議論)の無さ」を問う催しに参加した際に、この国では初・中等教育において正しい話し方の教育が為されていないということを聞きましたが、そもそも公の場では「僕(ボク)」は相応しくなく「私(わたくし)」が正しい使い方であることを知らない人が多いのだそうです。

 

もともと男性の謙称である「僕(ボク)」が、ある程度のフォーマルな場での使用も許容されている現実から、あまり細かいことを問う必要はないとの意見もあるとは思いますが、本来の使い方を理解した上での用法と、全くな無知による使い方では、周囲に与える影響が異なるのではないでしょうか。

当然、普段の家族や友人を相手にした会話において「ボク」を使う事には何らの問題もないと思いますが、多数の他人を前にした公の場では、その使い方には注意が必要だと感じるのです。

言葉は時代の流れにより変遷するものだと聞いたことがありますが、私は最低限の美しく正しい日本語の用法を守るべく努力することは大切だと思います…。

-終-

【余談】つい先日、ある芸能人が自らが不祥事を起こしたことの謝罪会見で「ボク」を連発。やはり周囲の誰もが、「ボク」の使用がこの様な場にはそぐわないことを忠告はしないとみえる。

 

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投稿者: 三日月ネコ

三日月ネコと申します。2017年4月より新たにKijidasu!認定投稿者となりました。ジャンルを問わずに幅広い「ごく些細な、ちょっとした」記事を投稿したいと思います。また普通の個人ブログ的な「その時、その都度、思ったことや気付いた感想など」の投稿にもチャレンジしていきますので、よろしく、お願いします!!