【名刀伝説】 藤四郎ファミリー大集合 -2 平野藤四郎・鯰尾藤四郎・秋田藤四郎   〈1345JKI07〉

秋田藤四郎(あきたとうしろう)

『秋田藤四郎』は、粟田口吉光作の刀。吉光の短刀の中では小振りであるが、体配に独特の気品があるとされる。昭和34年(1959年)6月27日に重要文化財に指定されている。

刃長は7寸4分(22.42cm)、形状は平造で三ツ棟、内反りにして重ねの薄い小振りな短刀だ。鍛えは小板目つみ地沸つく。刃文は直刃の焼出した小互の目がつれており、“ふくら”は焼幅ややく、砂流し金筋かかる。帽子は小丸が返り、茎は生ぶで先栗尻、鑢目勝手下がり。目釘孔は四つで内三つは埋めの状態。そして銘は「吉光」の二字銘。

刀身の表に梵字と素剣、裏に護麿箸の彫物がある。また梵字の「カーン」は、不動明王を表している。

 

その来歴は、豊臣秀吉に仕えた秋田城介(安東実季、後に秋田実季)が所持したことが刀号の由来とされるが、この出羽国の戦国大名・秋田氏の先祖は、古代齶田の浦(秋田市土崎)を根城にした蝦夷の族長・恩荷と云われる。鎌倉時代以降は安東(安藤)氏を名乗り、平安時代後期に源頼義に滅ぼされた阿倍貞任の末裔とも伝承される北方の名門武家であった。

そして後年、戦国時代に入り、安東愛季(あんどう よしすえ)の次男・実季(さねすえ)の代になると、天正18年(1590年)以降は豊臣秀吉に服して奥州仕置後に湊城を築いて本拠を移し、秋田城介を称して秋田氏と名乗った。

豊臣秀吉に仕えた実季は、秀吉から出羽国内の所領5万石余りを安堵され、その領国(秋田下三郡と豊島郡)の実高は15万石にのぼったとされる。

関ヶ原の合戦では東軍方となるが味方の最上氏や戸沢氏と反目、戦後に最上義光の讒言により減封、常陸国宍戸藩5万石へと移され常陸宍戸藩の初代藩主となり、慶長16年(1611年)1月、従来自称してきた秋田城介へと正式に補任された。

寛永7年(1630年)、実季は突如、失政を理由に伊勢国朝熊蟄居を命じられた。嫡男である俊季との不和説や、戦国大名らしい荒々しい気骨が横溢していることが幕府の忌み嫌うところとなったとか、従来からの家臣団の間での対立闘争が蟄居の背景にあったのではないかともされるが、その詳細は不明である。そして以降、約30年間にわたり実季は伊勢朝熊の永松寺草庵にて蟄居生活を余儀なくされ、失意の内に晩年を過ごし万治2年(1660年)11月29日に死去した。

※30年という長きに渡り閉門され死ぬまで孤独な日々を送った実季は、出家して“凍蚓(とういん)”と号したが、寂しさを紛らわせる為か、あるいは孤独による狂気のせいか、自分の姿を模して作らせた人形を「凍蚓」と名付けては茶や菓子を勧めるなど、まるで生きているかの様に扱ったという。

ちなみに、子の秋田俊季の家督継承は幕府に認められ、正保2年(1645年)に宍戸から磐城国田村郡三春に移封されたが、この秋田家の三春藩は以後幕末まで同地で存続した。

 

さて一方『秋田藤四郎』は、その経緯や時期は不明ながら、豊前国小倉藩主の小笠原家(『博多藤四郎』や不動行光』等も所持していた)に伝来した。元禄10年(1697年)には、本阿弥光忠から代千五百貫の折紙が添えられている。

そして昭和34年(1959年)6月27日に重要文化財への指定を受けた後に同家を離れ、現在は京都国立博物館に寄託・所蔵されている。

不動行光』は、藤三郎行光(相州正宗の父とされる刀工)作の短刀。表の櫃の中に不動明王とその眷属である矜羯羅(こんがら)、制多迦(せいたか)の両童子を浮彫にしているところからこう名づけられた。織田信長自慢の愛刀だったが、小姓の蘭丸が拝領し本能寺で焼失したとの説と、信長から信雄を経由して小笠原忠真(豊前小倉藩の初代藩主)が拝領したという説がある。

 

さて次回の【名刀伝説】では、 「藤四郎ファミリー大集合 -3」として、『一期一振』・『厚藤四郎』・『乱藤四郎』等を取り上げる予定だ‥‥。

粟田口吉光の作品とされるものは世に数多く、暫くは「藤四郎ファミリー大集合」が続くことになるので、吉光ファンの皆様には是非ともご期待願う。

-終-

【参考-1】2015年12月から2016年2月にかけて京都国立博物館で開催された特別陳列「刀剣を楽しむ – 名物刀を中心に -」においては、同博物館に所蔵される『骨喰藤四郎の他、『髭切』や『膝丸』、『義元(宗三)左文字』、『陸奥守吉行と共に『秋田藤四郎』が展示され、声優による音声ガイドがついた事で話題を集めた。余談だが、この音声ガイドにおいて『秋田』は『骨喰』を「骨喰兄さん」と呼んでいた。

【参考-2】“尾張徳川家御腰物帳”に記載されている尾張徳川家の蔵刀には、

「仁壱ノ壱(仁1-1)」太刀 来国俊(国宝)
「仁壱ノ拾参(仁1-13)」刀 池田正宗(重文)
「仁一ノ二十六(仁1-26)」太刀 一期一振
「仁一ノ二十九(仁1-29)」太刀 光忠(国宝)
「仁壱ノ四拾(仁1-40)」太刀 国宗(国宝)
「仁一ノ四十七(仁1-47)」太刀 正恒(国宝)
「仁一ノ六十壱(仁1-60)」太刀 津田遠江長光(国宝)
「仁一ノ六十五(仁1-65)」刀 南泉一文字(重文)
「仁壱ノ七拾九(仁1-79)」刀 本作長義(重文)
「仁弐ノ四(仁2-4)」脇指 鯰尾藤四郎
「仁弐ノ拾弐(仁2-12)」短刀 無銘藤四郎
「仁二ノ二十(仁2-20)」脇指 物吉貞宗(重文)
「仁弐ノ弐拾壱(仁2-21)」短刀 不動正宗(重文)
「仁二ノ弐拾六(仁2-26)」短刀 包丁藤四郎(重美)
「仁二ノ参拾七(仁2-37)」短刀 後藤藤四郎(国宝)

があった。

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