【名刀伝説】 国宝 童子切安綱 〈1345JKI07〉

童子10images大原安綱は平安時代を代表する伯耆の国の刀工。なかでもこの太刀は、名物『童子切安綱』として世に名高い。童子切りの名の由来は、凶賊退治の名刀が『酒呑童子』伝説などと結びついたと考えられている。天下五剣の一つとして、現在は国宝に指定されている。

 

 刃長(じんちょう/はちょう)二尺六寸五分 80.3cm、反りは平均一寸弱 2.7cm、重ね(刀身の厚さ)二分 約0.6cm。造込みは鎬造(しのぎづくり)、庵棟(いおりむね)。堂々たる剛剣であり、佩表に「安綱」二字銘を切る。

また、金梨地鞘糸巻拵えの陣太刀様式の外装が現存しているが、江戸時代初期以前の拵えがどのようなものであったのかは判然としていない。国宝指定名称は「太刀 銘安綱(名物童子切安綱) 附 絲巻大刀 梨地葵紋散蒔絵大刀箱」(たち めい やすつな めいぶつどうじぎりやすつな つけたり いとまきたち なしじあおいもんちらしまきえたちばこ)。

 

京の都に近い丹波の大江山に棲んでいたといわれる鬼の頭目、『酒呑童子』の首を刎ねた剣である。

時は平安時代、一条天皇の御代。洛中で美しい娘を狙ったかどわかしが頻発し、ついに池田の中納言の娘がさらわれた。陰陽師の安倍晴明の占いで犯人は大江山の『酒呑童子』だと判明し、天皇の命で、当代随一の武士と謳われた清和源氏の嫡流である源頼光が討伐に赴いた。

頼光は渡辺綱、坂田金時、平貞道、平季武といった四天王や、藤原保昌などを引き連れて大江山へ向かった。

変装して童子の館に潜入した頼光らは、神便鬼毒”酒を飲ませて童子を酩酊させる。そして、眠り込んだ隙に鉄鎖を体に巻き付けて、頼光が安綱作の太刀にて童子の首を打ち落とした。

実際には、都の周辺を荒らす盗賊集団を討伐したのだろうが、源頼光を讃えるための英雄譚として語られ、当時の帝に仕える武士団の強さを誇示したものだろう。

童子切の名はこの伝説に由来し、享保4年(1719年)に徳川幕府第8代将軍の吉宗が本阿弥光忠に命じて作成させた、『享保名物帳』にも「名物 童子切」として記載されている。

江戸時代、17世紀に終わり頃、元禄年間に童子切安綱が試し切りに供された時、凄まじいまでの切れ味を示したという。町田長太夫が切り手を務め、実に6体の罪人の亡骸を重ねて断ち切ったのみならず、土壇まで刃が達したそうである。

酒呑童子の討伐伝説以外にも、松平光長の夜泣きを止めたとか、本阿弥家で錆落しをする際に近隣の狐が次々と集まってきたこと等の逸話が伝わっている。

足利将軍家、織田信長から豊臣秀吉、そして徳川将軍家から越前松平家、津山松平家と伝来し明治を迎えた。

 

作刀者の大原安綱は、平安時代に活躍した伯耆の国の名工。個人名が確認されている刀工では、我が国最古の刀鍛冶だ。

刀身の横原部に浮かぶ模様(地肌)は、刃文とともに、作刀者の個性と製作上の技量を示すものだが、安綱の太刀は地肌が大きなループ状の大板目肌が特徴だ。鎬造で腰反りが高く、踏張りのある小峰のこの刀は、三条宗近や古備前友成とともに在銘の刀としては最も古い。

そして、上品な太刀姿と美麗で絢爛な刃文に加えて、殺傷力が高い武用刀としての実力も備わっている。同じく国宝の、大包平とともに日本刀の最高傑作だ。

ちなみに、文化財保護法に基づき国宝に指定されたのは1951年(昭和26年)である。1962年(昭和37年)に文化財保護委員会(文化庁の前身)によって買い上げられ、現在は天下五剣の筆頭として東京国立博物館に所蔵されている。

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