連載記事《気になる科学の言葉》の第1回目として、『オッカムの剃刀』を取り上げます。このちょっと解り辛い言葉の意味が、何とか読者の皆さんに伝われば良いのですが‥‥。
『オッカムの剃刀(Ockham’s razor)』とは、「ある事柄を説明するためには、必要以上に多くを仮定するべきでない」とする考え方。
14世紀の英国のスコラ哲学者・神学者(修道僧)であるオッカムのウィリアムが多用したことで有名になりました‥‥。
オッカムのウィリアムについて
『オッカムの剃刀』は、中世英国オックスフォードの哲学者・神学者でフランシスコ会の修道僧でもあった、オッカムのウィリアム William of Ockham (1285年頃~1349年)が多く用いたことで知られています。
フランシスコ会の修道僧として、現代で言うところのミニマリストであったウィリアムは清貧な生活を心掛け、また様々な神学論争についてカトリックの法王庁と争いました。結果、ウィリアムは法王ヨハネ12世によってカトリック教会から破門されてしまいましたが、以後、逆に彼は法王の側を異端とする論文を書いて反駁したのです。
また以降、特に科学界においては、科学におけるものの考え方に多大な影響をもたらした哲学者の一人であるとされています。
『オッカムの剃刀』の由来
この言葉は、中世スコラ哲学の一般的な原理であり、ウィリアムの創作ではありませんでしたが、しかし、この言葉をウィリアムが大変頻繁に使用したので、彼の代表的な言葉として周囲の人々に記憶されました。
解り易く解説すると、「同じ事を説明するやり方が2つ以上あるならば、シンプルな方を採用するべきである」とか「原理や法則はやたらと仮定の多いものではいけない、仮定が少ない単純なほうがより正しいと考えられる」などになります。様々な原理・法則などは、より単純・シンプルであるべきだということですネ。
更に別の言い方をすると、「存在は必然性なしに増加されてはならない」や「説明に最低限必要でない余計な存在がある場合、そうした不必要なものは剃り落とすべきである」といった感じでしょうか・・・。また「少しで済むのにたくさん用いるのは無駄である」といった解釈も生まれました。
そしてこの考え方をもとに、原理や法則に関して「説明に不要なことは排除し、剃り落とす」ことから「剃刀」という言葉が比喩的に加えられました。
そこで『オッカムの剃刀』は、「思考節約の原理」や「思考節約の法則」、「思考経済の法則」とも呼ばれます。また「ケチの原理」とさえ言われることもあるのです。
ウィリアムの考え方
近代的な科学がまだ発達していなかったオッカムのウィリアムが生きた時代、彼はどのような考え方で、この言葉に行き当たったのでしょうか?
それについては、例えば以下の様な話が伝わっています。
当時は太陽、月、星などは地球を中心として廻る(天動説)とされていました。そしてそれらの星々の中でも惑星などは天使たちによって動かされている、と考えられていました。
その理由は、物体が動き続けるには元となる動く力が必要だ、と考えられていたからです。つまり絶えず動き続けている天体には、常時、動力が必要な訳です。
そうした動力を与えるもの、それは当時のカトリック教会の教えにおいては天使でした。そのため天使たちがそれぞれの担当する惑星を動かしていると考えられたのです。
しかし、なんとウィリアムは、物体は最初に与えられた勢いで動き続けることが可能だと考え、惑星などの天体は神が最初に与えたもうた勢いで運動をし続けており、天使たちが都度、惑星を動かす必要などはないと主張したのです。
運動と力の関係や天体の運行などに関しては、ニュートンが生まれるはるか以前の時代の、しかも地動説などは知る由もないウィリアムの主張は、図らずも現代の物理学や天文学により近いように思えます。
しかしそれ以上に重要なことは、彼が天体の運行に関する説明について、天使という余計な存在を排除したということです。このことを彼は、全能の神がいればそれだけで良く、「少しで済むのにたくさん用いるのは無駄である」と表現したそうです。
成程、これはこれで、近代科学的な見地はさて置き、非常に解り易く明快な感じとは思いませんか・・・。確かに、最小限の組み合わせを選び、不必要に複雑な言明を提示すべきではない、とするウィリアムの考え方が良く分かる逸話です。
『オッカムの剃刀』に関する注意点
さて、『オッカムの剃刀』という言葉の意味は理解いただけたと思いますが、この言葉の持つ考え方の使用に関しては注意が必要です。
一見不要に思えることでも、実は必要とされている事柄もあり、逆に考慮すべきでないことまで採用してしまう危険性もあるので、そこに盛り込む要素や割愛する事柄の重要性や必要性は常識に基づき慎重に検討・判断しなければならない、とも言えるからです。
しかし判断の根拠とされる8その時の)常識も、これはこれで曲者です。人類の歴史を通して、一旦はとんでもない間違いである、とされていたものが後に真実であるとされた事は数多くあり、逆に真っ赤な嘘であることが判明した事柄はよりたくさんあります。
殊に科学の場合は常に現在進行形の学問であり、現在の常識は未来の常識では決してありません。更に常識というものは、場所(国)や民族によっても一つではないことを理解しておく必要もあります。
まとめ
現代では、「仮説が多いからといって、必ずしも真理から遠いとは限らない」とする説も当然あります。更に、必要な仮定が多くなるものは、現状ではコスト(実証のための費用・手間や時間など)が高くつき、且つ、そこから生み出せる成果が少ない為に否定されがちである、とする説もあります。
しかし、その評価は外部の常識が決定するので、その学説から生み出される有益な結果や価値が拡大すれば、一躍脚光を浴び、主流の学説となることもあるのです。
つまり『オッカムの剃刀』の使い方次第では、その結果は紙一重で真理から遠く離れたものとなり得るということであり、評価の基準を慎重に見極めた上で、必要か不要かを判断することの重要性を物語っている言葉でもあるです。
またこの言葉を、ただ物事を単純・シンプルにすることのみを良しとして理解するのではなく、正しく使えば物事を見極める力が大変育つと捉えることも大事で、科学者でも哲学者でもない、ごく普通の皆さんも、是非、日常生活で意識して使って欲しい言葉であり、考え方です!!
-終-
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